次。認識について。
ヒトであることをまぬかれても、生き物であることは、脱いでいない。
生き物の日常は、捕食活動である。
生存の維持。
獲物を識別する。これはルアーであって、疑似餌であってミミズではない、という識別は、捕食するためにも、あるいは、捕食されないためにも必要な作業だ。
五感で認知し、脳でこれを識別する。
これをひたすらやってるわけです、生き物は。
ツバメさんもチーターも、おれも。
これ、なんとかならないか。
食うことが足りていれば、そして、当面食われる心配もなければ、別に、ミミズも毛糸もどうでもいいじゃん。
五感ははたらく。ただし、それをいじくる脳みその作業を、やめるか、それが難しければ、著しく微弱にする。
これにより、世界は、個別に細分化されない、葉っぱも小鳥も、時空の中でそれぞれが区分されない構成要素になる。
これは、生き物であることの基本的な与件を放棄することに近い。
ゾウリムシに、なにかにぶつかっても反応するな、方向をかえるな、というに等しい。
それをなぜやるか。
生き物であることの、生存すら、脱ぐ、解放される、ということ。
ぼーっとすること、というのは、要は、そういうことです。