啓発舎

マジすか? マジすよ

きのうのNHKのAI特集は面白かった。
将棋ソフトの開発者が、自分の作ったAIがどういう手法で学習して性能を高めているか、いまでは作者である自分もわからない、と言っていた。
天馬博士の手を離れてアトムが悩みながら成長する、というのは美しい物語だが、人知を超えたアトムが人間が理解不能の行動をはじめたとき、なにが起こるか。



おなじ歌をうたうようだが、とりあえず、五感で「美しい」ということを認知する、ということは、まだ人間の特権か。


たとえば、いまです。
梅雨の合間。午後。
梅雨が好きなのは、普通だから、ということがある。
春だの秋だのはみんな愛でる。なんか、特別なかんじ、寄席だと、待ってました、と掛け声がかかるかんじ。
そこへいくってえと、梅雨の到来で屋号をとなえる奴、というのは、そうはいませんな。

だから、今日のような午後は、普通に過ぎる。
この普通のかんじがいいんですよ。
窓、というか透明な壁、みたいなのを重たいのですこしだけ開けると、空気が流れ込む。
時空がある、のかないのか、五感は総動員なのか完全に休止なのか。


静謐と豊穣は同義、と知る。