今週は、木曜の雨の日をのぞき、毎日善福寺川で桜とあそんでいた。
で、様々なこと思い出す、のであった。
確か火曜日か水曜日のことだった。
白いふわふわしたかたまりが、風を受けてかすかに上下に揺れる。白く光るつぶつぶが川面に落ちる。
めまいがするような、胸をかきむしられるような、この、美という他ない空間の中にいると、次第に自分の存在があやふやになってくる。
きのうもなくあしたもなく、まえもなくよこもない。
こうして、自分がいるんだかどうだか不確かで、周りもあるんだかないんだかあやふやで、ときの推移も、その時間が流れるという感覚もまぬかれて、いきおい、一瞬か永遠か不分明、であるところから意識をとりもどすと、空間があって時間が再び流れ、花があり自分がいる。
さすがに、凡夫のおいらも、存在、というのはいったいどういうことだろう、と立ち止まってしまうのであった。
なんて、ややこしいことを言っているが、なんだか、いろんなことが心底どうでもよくなりました、ということにすぎないような気もする。
桜は、すごいですよ。