啓発舎

マジすか? マジすよ

昼、テレンススタンプとバネッサレッドグレイヴの映画をみて、触発されたことを書く。


少し気が重い。

映画はよかった、とくに俳優が。
バネッサレッドグレイヴとテレンススタンプのからみは、しぶい。
バネッサさんは、当方は、どうしてもジュリアの印象が強烈だ。
ジェーンフォンダとベルリンで会うところ。

テレンススタンプは、頑固な老人を正確に演じている。


問題は、筋書きだ。
バネッサ存命中、役柄でですよ、は、名優二人のやりとりを安心して見ていられたが、亡くなったあと、亡き妻への想いから、合唱団のみなさんと和解して、集団にまじって力をあわせてコンクールで歌いきる。


いや、そりゃ、この種の映画のお約束ですよ、このストーリーは。誰だって数字ほしいですから。



だが、テレンススタンプが抑制しながら表現している前半のこのおやじには、この展開は不可能だ。
だから、テレンスさんは、前半と後半で、違うキャラを演じ分けることになってしまった。
後半のテレンスさんは、表情があいまいになる。



映画についてはこのぐらい。


例によってガス欠気味になったので、結論から。


人間の集まり、は、すべて、よどんだ水たまり、だ。
例外はない。
これに異を唱える向きは、まさかいないと思うので、これをまず前提とおく。


峻厳に生きる男が、なぜ、ここに交わらないといけないか。
どぶにはまらないといけないか。



まさか、ヒトのあつまりをポジティヴにとらえて、従って、独りでいるのは何だかネガティヴで、つむじ曲がりが集団と和解するのは、仲良きことは良きこと哉、とかぼちゃの絵の脇に一言記す武者小路主義を唱道しているんじゃなかろうな。



バカも休み休みいえ。


気が重い、というのは、こういうことです。


おれが、絶対に少数派だ、ということはよく承知している。


独りでいて豊穣、ということがわからぬか。
というより、よけいなことどもを排し、自分、だか、宇宙、だかわからぬが、およそ意識の及ぶ、あるいは、及ばない、見当識もない、時空間でまどろむ、という到達に安らぐことを閲したうえでの・・・
やめる。寸止め。
こう毎晩熱いとこうなる。