啓発舎

マジすか? マジすよ

昨夜9時から、おれさまが現場にいたN響追体験をしようとテレビつけたら、井浦新のバカ面のアップに遭遇した。
この世は〇△□だ、という、ほとんど電波系の仮説を全国行脚で立証しようという試みをNHKが全面支援する。
予告で知っていたので、これだけは見るまい、と思ってギリギリにつけたのに、高校野球が長引いたとかで、冒頭のシーンが具現した。

おれとアラタがどっちのほうがよりまぬけかは、時間をつぶすには良い設問で、49対51ぐらいの接戦になりそうな気配があるが、いまはそのひまはない。
〇△□といえば、坊主の能書きで、きのうだかおとといだかに書いたが、京都で散々聞かされた。
建仁寺の坪庭で最近できたやつが〇△□で、さあどこにかくされているでしょう、なんて、坊主と庭師が結託した俗臭ふんぷんの、禅の一番悪いところがあますところなく露呈する好事例だ。
前からある、となりの、割合でかい石組みの坪庭が、それなりに厳しい存在感があるだけに。

脱線。
で、眠たいのを我慢して、アフカムのどんちゃん騒ぎを追体験した。
インタヴューで、このプログラグは、「死」がテーマです、とか、能書き垂れていたが、若造の減らず口だ。
最後が、「死」だったら、ティルだって幻想だって、そうだぞ。
バカ騒ぎを、それじゃいくらなんでもあんまりだ、と、とってつけたように「死」でしめくくるのは、リヒャルトとかベルリオーズみたいな中身のない奴の常とう手段です。
モーツアルトの20番と同列に論ずるようなもんじゃないぜよ若いの。
ピアノの小山さんが、一生懸命言葉をさがしてなかなかでてこないもどかしい、みたいな、真摯な姿勢を見習いなさい。
ほんとの音楽家というのはそれで、言葉とかで表現できないものを、言語とか意味を介在せずに、あたまで余計な処理をせずに、表出するのです。
だから、おれなんかが四の五の言うのも、基本は与太に属する。
という前提で、当日の感想を掲載しておこう。
   ↓
http://d.hatena.ne.jp/arjunachrishna/20180117


アフカムに告ぐ。
おれなんかこの程度ですますが、N響古参の海千山千に、ケ、とかいわれてスルーされたら次回はないぞ、若造は若造らしく利いた風なことはいわず、ヘラヘラしてなさい、と、演奏はまあよかっただけに、親身に忠告して差し上げよう。
余計なお世話か。