新潮45廃刊の報に接した。
こないだ、居直れ、馬耳東風、二の矢三のやで反撃、せよ、とおちょくった、失礼、激励したばかりなのに。
まあ、おれがどう言おうと関係ないですけど。
呑みながら、だが、今夜は、たまには、すこし、まじめになる。
実は、さっき図書館でくだんの特集を飛ばし読みしたばかりだった。
なかみは、みんなが言うとおりで話にならない。論評に値しない。
この特集以外でも、皮相的煽情的、と、この種の「◎★的」がいくらでも羅列できそうな小汚いものばかり。劣情刺戟も程度がある、たいがいにしろ、とすれっからしのおれなんかに言われるようじゃおしまいだ。
廃刊して新潮社もほっとしているのではないか、内心。
以前、雑誌どうなる、みたいな、パネルディスカッションをわざわざ一ツ橋までのぞきにいったことがあって、文春の編集長なんかと一緒に新潮の編集者がいて、下品なネタでも自分たちには文章に格調がありますから、みたいなことをそいるが言っていた。なかみは目くそ鼻くそではあるものの、それなり矜持があるんだ、と感心した覚えがある、確かそのときこのブログにも書いた。
中学のころ、週刊新潮のマニアだったヒライくんと、毎週読後の感想を交換しあっていた。
そのころも、なかみよりも、その冷笑的、高踏的、他◎★的な切り口、筆致をもっぱら鑑賞していた。
貧すれば鈍す、で、そういうのが、新潮社にしてから、とっくに消え失せていたんだね。
おれは、寂しい。
本心。
かつて、おれなんかがガキのころから自由に泳ぎ回れていた世界を保全していた大人が、こうしてまた一人退場するのをみるのは。
「女の嫌いな◎★」でかろうじて部数をかせいでいる文春が、こんど、いよいよ、満を持して、「男の嫌いな~」をやるらしい。
「なによあのこ、だいっきらい」という、すぐれて女に属すると思われていた劣情を、男からも引っ張りだそうという、快挙か壮挙か暴挙か。
醜いだけのリンチジャーナリズムは、これからますます跋扈するか、新潮45亡き今、この企画の行く末が、当面の判断材料となっる