啓発舎

マジすか? マジすよ

1年に何回という日和だ。
おそるべし、11月3日。


というわけで、たまには、いいことを書く。

◆才能は遍在する。
◆スペックによらない。

これでいい尽きているし、自分の頭のなかで整理ができていることをくどくど文章にするのが、めんどうなので、なるべく簡潔に。めんどくさくなtったらおしまい。


たとえば、銀行員。
昔は三菱銀行といえば、仕事の相方として、そこそこの人間をそろえているという安心感があった。地銀信金とは違った。当方の言葉が通用した。
いまはどうか。
三菱といえば、掃きだめ。
もちろん、しかるべきところには「そこそこ」を置いているのだろうが、それにしてもどいつもこいつも。
地銀は、営業一人にかかる責任が大きい。世の中の風向き、市況、顧客の属性、組織内の交渉、なんか、できる奴はバランスとりながら全部やる。そういう奴は例外なく仕事の運びもはやい。文句なく有能、という奴がたまにいる、かえって。
メガが1万人規模でリストラするらしいが、効率化というより、膿み出し、というのが用語としてより適切だ。
これは、リストラするほうもされるほうも共通認識だと思う、内部では。
なんとか大学、も、全然あてにならない。

そいつがぶら下げている肩書きだの経歴は全然あてにならないから、そいつを見分ける「そっちこっち力」は必要だ。


だが、そいつがどういう奴か、がすべて、というのは風通しのよいうことだ。


もう一つ。
その昔、いい大学でていい会社にはいって、というのが、「できる」ということと等値される価値観があった、と思うが、今、全然ないよな。
一流の料理人と二流の営業マンとどっちがかっこいいか。自明である。


で、才能がいろんな分野に遍在するようになった。
前もそうだったが、価値観の多様性がそこまでいっていなかった、ということなのかもしれないが。

少なくとも、こいつはすごい、の「すごい」価値が広範になり、それぞれの分野でのびのびいきいきやれるようになってきた。

今日科学技術館に自転車でいってきて楽器フェアをのぞいたのだが、楽器製作者は、かっこいいぞ。たとえば。


だから、政治家がダメになった、とか、いちいち慨嘆しなくていい。
そういうメディアはもっとダメなのだから。

いろんなジャンルにまんべんなく散らばっているということで、むしろ慶賀すべきではないか。


できる奴の資質はどんな分野でもだいたい一緒だ。

自分で考える。
自分で試行錯誤する。
自分を外から見る。
自分を内から見る。
五感を鍛える。

最後に、自分以外、世間様とのやりとりがあって、コミュ力だのなんだので必要以上にさわぎたてられるが、おれにいわせりゃ、そんなもの、つけたし、どうでもいい。
見る奴が見れば、できる奴はわかる。
見えない奴は、それだけのこと。


要するれば「ひとり力」
これがある奴は、だいたい静かですね、雰囲気が。


まわりとチーチーパッパなんて、最後にかってについてくる、そういう「ひとり力」のある奴には。


コミュ力自慢の奴は、だいたい中身がらんどう、自分のなかがスカスカだから外とやりとりをする、せざるを得ない。

たとえば。会社停年になるとやおら「人脈」と称してあれこれやりだす奴は、ぜんぶこれ。


わずらわされず豊穣でいられるこんな環境を無理やりけたたましくするんですね。



というわけで、今日お話しした楽器製作者の方は、みんな、いい顔してました。