啓発舎

マジすか? マジすよ


本郷は寒かった。
写真は古戦場です。二食といいます。螺旋階段を登りきると部室があって、居合わせた誰それとうだうだしてたものじゃ。誰それも話のなかみも大方忘れたが、ベルリンフィルオーボエのコッホ、当時ね、はアル中でとかの断片は、時々唐突に浮かんだりする、いまでも。
今日のぞいたら、ラッパ、フルート、チェロ、ヴァイオリンが、てんでにさらっていた。40年前と同じ景色だ。
ここで時間つぶして不忍池方面に降りて行って文化会館に辿り着き只券、もしくは学割チケットでコンサートをきく、という日常が営まれていたのであった。


理学部のロビーには、電球の化け物のような物体が陳列され、これでニュートリノを補足して小柴氏ノーベル賞ゲット、ということのようだ。もう一人梶田氏の事績も展示されていたが、後輩であるとのこと。

半生をささげ未だに研究室にいらっしゃるお立場と、学部を通過しただけ、しかも大教室での講義ばっかり、の当方とは、この時空間の重さは全く異なる。


ルオーでカレー食いましたが、なんか、切ない味だった。