◆NHKBSで野いちご。
字幕を追っかける映画でした。夜中でもあり途中で失礼しました。
夢のシーンは意外とリアリズム。
◆内田樹氏は、さいきん加速が激しくて、はらはらしながら見守っている。
文句なく面白です。
とくに、大学教育の話になると、フルスロットル、回転数レッドゾーンという事態が直ちに出来する。
今回の投稿もつっこみどころ満載だが、きりがないので一点だけ。
以下、内田氏による教育の定義
教育とは「そのようなものが人間のうちに潜在しているとは予測もできなかったもの」が見出され、爆発的に開花し、多様な展開を遂げるプロセスである。学校教育がもたらすアウトカムは原理的に予測不能である。
内田氏は一貫して「学校教育」の語を用い、大学に限定しないのであるが、たぶんここで想定しているのは、大学あるいはそれ以上のレベルの教育のことで、小学校の教育が、みんな等しく読み書き算盤できるようになろうね、ということにはいくらなんでも争いはない、という前提で進める、わからないが。
小学校教育こそ岡本太郎を生んだのだ、これでいいのだ、という議論もあるかもしれないが。
で、大学教育。
上の定義を、たとえば「研究」に限定すれば、あるいは妥当する局面もあるかもしれないが、いま、一般の大学教員にうえの定義を示し、多様な才能を爆発的に開花させるのがあなたの使命です、と就任時に訓示したら、坊ちゃんじゃなくても、無理です辞めます、というだろうね。みんな。さすがに。
どうも、外部の教育環境から自分がほったらかしにされてきたせいか、「教育」というとまなじりを決して百家争鳴する風潮がよくわからない。
親に対しては、よく見守ってくれたもんださぞかしはらはらし通しだったろう、と今でも思うが、学校になにかしてもらったという意識は、小学校から大学に至るまで、全くない。
自分で自分を引っ張り上げるしかない。
そのためのスキルは、やりたいことをやる、あるいはやりたくないことは極力やらない、ということに尽きる。
もう、大学なんか全部ぶっつぶして、4年間のモラトリアム期間だけやる、就職は高校卒業の4年後ね、ということだけでいいんじゃないの、手に職分野以外は。
今日は素面だ。