啓発舎

マジすか? マジすよ

◆こないだの席でも話題になったが、見だしを見る限り、辛嘲対蚊春は完全に勝負あり、もう辛嘲のメは、ないです。なんといってもたれこみ収集力。
 秘書をぶん殴る先生ネタは、小ネタだがおいらの面白琴線にふれる。
 文春のネタをつかむ握力は立派だと思うが、ベッキーもスマップも中身は全然面白くないので退屈してたですので、今回はネチネチ続報してほしい。役人の怨嗟の声とか女房はそれに輪をかける、とか、なんか、おいしい鉱脈がありそうな気がする。
 私の面白基準については、別途考察する機会を設けたい。
 
 ところで。
 枕で盛り上がると持続する体力なくす。
午前中、パソコンと格闘しておつむが事務処理モードなので、今回は以前からもやもやしていたことを吐き出してみたい。
いいたいのは一般的なことなのだが、たぶんそこまでいかないが、頭出しには固有名詞が登場する。
池澤という人だ。
 岩波の「図書」に連載しているから嫌でも目に触れるので、とりあえずこの人を俎上にあげる。

よせばいいのに詩の評論をする。
今月号は川上澄生
サントリーの宣伝で使っていました。ひょっとして仕掛けは山口瞳か。
ともかく。
すぐ感動する。どぎつい言葉を惜しげもなくつかう。

 詩人は、中学の英語の教師で退職まで勤め上げた。野球部の部長として甲子園に出場したことがある。
これだけの経歴をもって「なんと多彩な人生、多才な人柄」と感動する。
最後っぺはこうだ。
「体験と教養のすべてがあの版画と詩になって七十七歳の生涯を築いた。詩だけでなく版画だけでもないところから、抑制と奔放のバランスが生まれたように思われる。これは羨むべき人生ではないか。」
阿呆か、こいつは。
なんか言ってるようで、なんにも言ってない。


よいこのみなさんえ。
愛だの恋だの真実だの真心だの、その種の言葉を安売りするおやじには、絶対ついて行ってはいけません。


おれがブンガク界が徹底的にダメ、クズばかり、という象徴がこいつだ。

製薬会社のプロパー、教材の営業、センセイにどつかれる秘書、に読ませてみ。
これっぽっちも人間をしらない奴が、美辞麗句に埋もれて一山いくらの感傷にふける。そこまではいい。十パひとからげだから。
そいつを採用して詩の評論させる岩波は正気か。
正義だの人間性だの、強い言葉を背負わせれば、誰でもいっぱしのことは言える。
そこに内実があればいいが、こいつはすかすかなんですよ。


巻末で、編集が、また池澤をもちあげて、ごそごそ言っている。
「たくさんの死者たちを心の中のどこに安置するかという問題が」心を占めていた、と。
編集は、「不慮の死」を、どのようにこの国は受け入れていくのか。その在り方は、この社会が政治的な課題に向かい合う姿勢に深く係ってゆくことでしょう。
と結ぶ。
池澤によいしょの営業をしているのか、本心か、はたまた岩波流のお題目か。
最後はお定まりで、政治に向き合う姿勢に深く係ると、もっていくが、死者を抱きしめることと現実相手にやっていくことを等値するのはいくらなんでも為政者には重たい、アベに酷だと思う。
集団的自衛権も特定秘密なんとかも、手続きを含めおれも反対だが。

羞恥心の限界なので、これ以上抜粋できない。


地震だろうと交通事故だろうと、「不慮の死」は「当人や周囲の家族や友人はどうやって受け入れることができるか」

それは人間だれしも生きていくうえでヘヴィーな問題だ。生涯のテーマいうか栄養というか、だから、滅多なことではやすやすと口にできない。
ましてや、抜粋とはいえ引用していてるだけでおれなど、どきどきする。

悪いが、大震災の死者全員を自分のなかに安置する度量はおれにはない。
それ以前に、とっさには、それは不遜だ、と呼ばわる声が聞こえる
交通事故だろうと大震災だろうと一人の死は残されたものに大きい。
鎮魂するのですよ、静かに。
そのひとそのひとの魂を。
それが残されたものの生きていく栄養なのですよ。

とことん個人と個人に属する営為です。
実は、おれのまわりでも現在進行だ。言わなくていいことをいっちゃったじゃねえか。


再度言う。
よいこのみなさんは、どぎつい言葉を遠慮なく遣うおとなにだけはならないでください。


五木がいくらなんでもということでレギュラーメンバーから外れたので、ウェイティングサークルでバットを振っている池澤をレギュラーに格上げすることにする。中沢といい勝負だ。

午後は、また、仕事だ。