啓発舎

マジすか? マジすよ

N響第1804回 定期公演 Bプログラム
R.シュトラウス交響詩「ドン・フアン」作品20
モーツァルト/ピアノ協奏曲 第25番 ハ長調 K.503
R.シュトラウス交響詩英雄の生涯」作品40
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
ピアノ:ピョートル・アンデルジェフスキ

ちょっと、何から書いたらいいかまだわからない。
ビールワインワインのせいもあるが、まだ気持ちがたかぶっている。

コンサートは、時空を五感で直接知覚するので、それを、遅れて言語化すると、何を言っても今更と思ってしまう。

つまらないコンサートだと、やってるあいだ中言語を媒介してあれこれ他のことを考えているので、言語化は訳ない。
ほじくるのはいくらでもできる。
だが、今夜のような、時空と一体化するような、しかもそれがずっと持続するような体験をすると、それをどう言ってよいのか。

息子ヤルヴィの実演に接するのは初めてだ。指揮ぶりは、ストレート。チョン ミュンフンとちょっと似ているような、ばっさりした棒だが、チョンミュンフンよりは、ぎくしゃく。
だが、出る音は、明らかに、融通無碍。

メインの曲の作曲者が自分で作ったストーリーなど、どうでもいい、この曲は、要すれば、たおやめぶりとますらおぶりのせめぎあい、これに尽きる。
たおやめは、例えばマロのヴァイオリン。
ますらおは、オーケストラの咆哮。

で、ますらおぶり、の侠気のなんと鮮やかなこと。
凄い解像度。
しかも、間断ない音の流れ。緩急自在。
マロの個人技も、もちろんよかった。

それを統べる息子ヤルヴィは、すべてのパートへの目配せが効き、しかも智に走らない。
凄い音楽性だと思う。


初回が、こういう、音の洪水のような曲でよかった。
音、以外に何の意味もない純粋音楽を書いた、ということで、リヒャルトは大好きだ。
こいつに妙な精神性を求めてはいけない。

その、おもちゃ箱をひっくりかえしたような音楽で、ここまで人を動かすか。

人、と一般化してはいけないかもしれないが、まわりの会員さんたちの10歳は若返ったかのような拍手の中にいると、当方だけの体感でないと実感する。

息子ヤルヴィは、「最初の丁半に勝った」(ℂ三島由紀夫)。