啓発舎

マジすか? マジすよ

NHKで三島由紀夫をやっていたが、見応えがあった。
なかでも、20年近くつきあった女性編集者、辛嘲社だと思うが、の証言。

テレビだから伝えられるニュアンスというのはあると思う。
この編集者は、明らかに、三島に対して距離を置いている。
笑いながら想い出を語るのだが、よくいえば客観的だが、たまに冷笑に類するのではないか、という話ぶりがあった。

インドの取材旅行から帰って、明らかに三島はがらっと、と言ったと思う、変わった、と。


「あのころからはじまっちゃったのよね」


まるで釣り道楽か、骨董趣味でも語るような。


これはインパクトあった。

死に至るいきさつを、まるで道楽に淫するおやじのなれの果てのように俯瞰する立ち位置だ。


納得。


証言する元楯の会のおじさん達は、失礼だが、凡庸という印象。
おそらく、三島が実社会で唯一まともに疎通できたのはこういう人たちで、うれしくて火遊びを始めたらましぐら、というのがほんとのところ、というかんじもしなくない。


実際の世間さまのなかで生きられず、抽象的に構築した世界の中に逃げ、そして、その世界の大方は、極めて私的なコンプレックスに由来し、それを押し隠すために仮構した場であるのだが、一緒に遊んでくれる気のいい若者がいて、もちろん彼らは三島の仮構など理解できる由もないのだが、ヴァーチャルリアリティーがいつからか現実にその領域を拡大してしまった、ということか。



全共闘との討論会を一部写していたが、誠実に深く真摯に考え発言する三島と、減らず口を叩く学生、という構図。
大蔵省の会合での肉声で、彼らは時間の観念がなく空間でものを考える、と、あたかも評価するようなことを言っていたが、そりゃ三島さんナイーブですよ、あいつら、時間の流れのなかで自分たちの立ち位置を検証するような知恵がないだけです歴史観なんてはなから持ち合わせていないだけのことよ。

そういう世間知らずなところ。



三島が死んだのはたしか45才ぐらい、おいらはそれより既に10年以上馬齢を重ね、空疎な経済的な繁栄の中にあぐらをかいてお前ら一体なんだ、と戦後の日本および日本人を叱る心情は、わからないでもない。



おめえらどういう料簡だ、という年頃に、おれも、とっくになった。
ただ、国体とか、大義とか、そういう、悪いがガキっぽく純粋な観念を拠り所にするにはすれっからしになりすぎた、ということです。



ピエロのように思っていたおじさんだが、こんどの番組で少し見直した、といより、年を経て俺自身が歩み寄ってしまったようだ。


編集者の小島さんは、しかし、いまでも、ぼくちゃんが火遊びしてたのね、と高みから眺めている。
その見え方もわかる。


世間知らずでがらんどうなぼくちゃんが、すれっからしではあるが空虚という意味では共通する戦後日本と無理心中を図り失敗におわった。

かくして我が国は本日も晴天なり。