啓発舎

マジすか? マジすよ

◆先送りしていた雑務を少しずつかたづけている。
世間は相変わらず波風がたってるようだが、悪いが他人事だ。
取り組むことが他にあって、その気晴らしで付き合うのはいいが、大の男がまともに相手する世界ではないと思うね。
気象みたいなものでしょう、いくつもの変数の組み合わせ、当たるも八卦の世界になりますよ。
年初、素人なりに日本株暴落と見得を切ったが、兆候は去年からありました。

マーケットは化けの皮が剥がれるだけのことだが、次のステージは政治だ。

銀座に行く用事もあるのだが、春節なのででられない。
もう少し静かになってくれないだろうか、世の中が。
不況のなかで落ち着くのは、だめか。

いま思いついたが、サンダースに安倍の次をやらせるのはどうか。


グローバリズムは辟易だ。
 wikipediaみたら、地球主義というのだそうだが、金の流れはとっくに地球規模になっているから、わざわざグローバルとかいう必要は、すでにない。これはしかたない。
私が辟易なのは文化とか習俗とか、そっちの話。

うまいからさんまを食う。楽しいから縁日をぶらつく。背筋がのびるから神社で手をあわせる。居心地いいから箱根に沈没する。

好きでつましくやってるんです、どうかほっといてくれ。
そっちはそっちでうまくやってください。
と、全世界の人に、この際申し上げる。

居心地よく暮らせる範囲は限られている、と思う。
自分がやわらかくやっていくスキルはすでにある。自分の文化、というのはこなれない言葉だが、他に思いつかないのでとりあえずつかう、は、掌の中にある。


茶色だか灰色だか知らないが単色で世界中を塗りつぶすようなことは真っ平であります。

私も自分の「文化」は防衛したい、三島のいう「文化」と共通するかはわからぬが。
おくればせながら、しみじみそういう気分。

べつに日常やっていくスキルにすぎないので、ここで大上段に構えて自分の「文化」を定義しようとは思わない。

交信できれば、する。ここで交信という言葉をつかうのは、言語以前の疎通を含む、という意味。
音楽だ、たとえば。
交信できる人と交信するのだから、楽だ。
もとから繋がっている人とつながるのだから。

6日の出来事以来、言語化以前の疎通、がまた去来するようになっている。


そんなところ。