啓発舎

マジすか? マジすよ

で、再び宇能先生に登場願おう。
ほんとは昨日書きたかったのだが。
恒例の木曜立ち読みで、週刊のほうの文春に宇能先生が登場していらした。
怪気炎。
谷崎が安倍定に切られたのも、近くに住んでいたのもホントだウソじゃない、とか言っていたが、そんなのどうでもいいです、先生。おもしろければ。
なんだか純文学へのこだわりのようなことも言っておられたが、先生は、そんな区分を超えていらっしゃいます。いまどき純文学なんて、純喫茶ほどの意味もないです。
。「純」文学なんて、だいたい作家が自分でマスターヴェーションしてますから話しにならない。読者にさせるもんですよ。
独りよがりの自我肥大、自己憐憫延々100ページのつまらなさの言い訳は、全盛期の先生の小説1行にも及ばないです。お世話になりました。
三島がボディービルの肉体にネアンデルタール人の首と喝破されるたのは流石です、カポーティーからひっぱったとしても。
80歳になったら彼女100人だそうですね。
おれなんかも励みになります。


ざっと以上の感想をもったが、ほんと言うと、先生この先悪ノリか・・・との予感がしなくもない。
登板回数は抑えめにしたほうがいいと思う。


そうそう、宇能先生にぴったりの場をいま思いついた。
月刊のほうの文藝春秋の巻頭随筆だ。
田中美知太郎先生以降、見識と品格を兼ね備えた書き手がまるでいない。小者ばっか。
今こそ、宇能先生が、80年の人生経験のありったけをぶちまけることで、停滞する活字メディアに喝をいれていただきたい、と願うのは私だけではないだろう。