啓発舎

マジすか? マジすよ

東京堂での邂逅以来、すっかり文学づいてしまった。
着流しで暮らそうか、と思ってみたりする。
中央線沿線というのも有利な要素だ。
宇能先生という導き手を得たおいらは幸せ者だ。


で、今夜は、「自殺評論家」について皆さんと考えていきたいと思います。
テキスト271ページを開いてください。
なに、買ってない、だと。そういう、口さえ開けていれば誰かがミミズを突っ込んでくれるはず、どうして◎★してくれないの、と文句ばっかり言ってる他人のふんどし女、だけじゃないか、野郎もいるか、は関知しません、口パクして飢え死にしなさい。


と、思わず私情が出てしまった私を、最近私の身にふりかかったあれこれを知る全農の神はきっと赦してくださるに違いない。


で、自殺評論家だが、自殺しようとせんずりかこうと、先生は容赦しない。



この一文にも、まあお下品ね、と眉をひそめる女、だけじゃない男もいるだろうけど、、真に優れた芸術に看過、じゃない、感化されやすい私であってみれば、これからは、こういう、おおらかな表現を多用するので、そのつもりでいるように。



で、なかなか自殺評論家にたどりつかず、今夜はビールとワインだしいま11時だし、ということで。





自信作を「本人による盗作だ」などと極めつけられれば、憤りを覚えられるのも当然だと思いますが、当方、そのくだりを一読して、実は、先生にしては、「権力欲名誉欲強すぎ」とか「人柄の出る下品な批評」とか、この「自殺評論家」が当方の想定した人物だとすると割合世評通りの見解をおっしゃっているな、という印象を抱いたのでありました。


この人、存命中から、文部大臣なりそこない、とか、博士号亡者、とか、人品いやしい、とか、およそ人に対して浴びせられる悪口雑言を一身に引き受けていたのをおいらも横目でみてました。


で、直接ごの評論家から貶されたことがない、あたりまえだ、ので、他人事ではあるのですが、世の中からそこまで悪口を言われる能力は、いっそ端倪すべからざるものがある、と感心していたのでもありました。中身は碌に知らなかったですけど。


日本国憲法では小林直樹を罵倒し、芥川賞では村上龍をまがいものと断じ、堀辰雄をペテン師よばわりし、その他電信柱にも郵便ポストにも罵詈雑言あびせかけたわけですから、各層から蛇蝎のごとく嫌われるのは当然でありましょう。


先生などは、逆に、そういう輩を、世をはすに見る同類として評価する、そういうご見解もありうるのかな、と思って、少し意外なかんじがあったのは事実です。


でも、文句言われたらそりゃ頭にきますよね。


「自殺評論家」も、死して何年たつだろ、N年たってなお、こうして強い感情をもって思い返される機会が多いのは、それはそれでたいしたもんだ、という気もします。


実際、妙にこの人の名前、いろんなところで、いまだに耳にしますよね。
先生のご発言に触発されて、番頭面批評家を回顧してしまいました。
というlことで、今夜はこの辺で。