啓発舎

マジすか? マジすよ

笑う あるいは嗤う

ジェットコースターだよ人生は。
という他ない、いまの私は。
明日も、一歩間違えば落とし穴、というイベントあり。
陥穽、などという言葉がうかぶ。

たのむから、しばらくおれをほっといてくれないか。

ほっといてくれたら、そんなに悪さはしませんから。

いろいろ傑作なこともあるのだが、書けない。
身過ぎ世過ぎのたいていのことは、笑える。あるいは、笑うしかない。
この場合、笑う、というより嗤うという表記がより適切だろう。

褒めると警戒される、というのもその一例。
本心で同僚Aを、あんたはえらい、というと、露骨に気を悪くされる。
これはむしろ、おいらのご人徳のいたすところか。

ともかく。
一方で、生きてゆく本題はそれ以外にあるのだから、漫然と笑っている、あるいは嗤っている場合じゃねえだろう、と常につぶやく自分がいる。
もちろん、箸が転んでも嗤う、というのがおいらの体質であるのは月も知ってる事実であるから、嗤う、あるいは笑うこと自体は、べつにかまわないだろうという気もする。

問題は、そういう嗤うしかない事象に、時間とエネルギーとを空費されているということだ。