啓発舎

マジすか? マジすよ

相撲は、一時期はまっていた。
貴乃花全盛期。
同級生のサコウくんの影響が大きい。
相撲のことならなんでも知っていて、好きが高じて、休み時間にはいつも廊下で相撲をとっていました。
ある時、誰が贔屓か、という話になって、おいらが、「貴乃花」と口走ると、「そうだよね」と、いわれた。
内心、しまった、と思ったが後の祭りだ。この発言はおれのトラウマになって、たとえば、いまなんかも、斬鬼の念とともにこうして蘇る。
あそこで、絶対貴乃花と口にしてはいけなかった。
当時、貴乃花は、巨人大鵬卵焼きみたいな存在だった。多数派。
当時のおれらの空気を再現できないのはもどかしいが、どんな話題でも、必ず、これは必ず、ひねる、とか、はずす、とか、斜めにする、とか、笑う、或は嗤う、とか、そういう操作を加えないと、たちまち、「あ、そう」ということになって、微妙にベンチ行き、しばらく多摩川で草むしり、という日々、果し合いの日常があったのです。
おれがこうしてこのブログを書いているのも、当時の習性を引きずっているからだ、といま気づいたがもう遅い。直らない。

で戻すと、うっかり「大衆」してしまったのでした私は、捲土重来、次回こそ、という思いを胸に秘め、正しい回答を模索し続けだした結論は、「大麒麟」だった。
大麒麟なら、ばかにされない。
こんど聞かれたら大麒麟といおう。
しかし、悲しいかな、次回の登板はついに訪れず、おれは人知れず多摩川ブルペンで投球練習をし続けた、夕陽がかなしいぜ。



おれは、要するに、大麒麟が好きだった。
まあ、ヒールでしたね、悪役。
なんか、くねくねしてるんですよ。
廻しがすぐ弛むのも、怪しい。
実際、前の山、だったか、との一番で、無気力相撲の注意を受けたりしたこともあった。
読書家。
格闘技界で読書家というとジャイアント馬場だが、司馬遼太郎とかですよ。
おれが括目したのは、この人の愛読書は、ユングとかフロムとか、そういうジャンル。
引退したと思ったらすぐ内紛して、世間を騒がせてくれました。
いろいろ楽しませてくれた。


いま、その大麒麟に全然歯が立たなかった貴乃花、の倅か、別人の貴乃花がなにやらなっているが、惜しむらくは、笑いがない。
大麒麟諧謔の風味に、欠ける。


先輩を見習って、なんか、こう、はちゃめちゃな展開に、これから持ち込めないか。


大事なことは何度でも言う。
およそ人間の営為は、滑稽と悲惨、これのみが語るに値する。


たのむよ。