植木等の続き。
◆植木等の「無責任・軽薄」の流れは、たとえば高田純二、所ジョージあたりがすぐ浮かぶ。
所なんか、声、とくに歌うときの声は、植木のまねしてるんじゃないか。
共通するのは、神経が皮膚まで浮いているような、ひりひりしたかんじ。
幕末太陽伝だって、いちばんどきっとしたのは、駆け落ちする男女を送るとき、「誰も信用するなよ」と言った、そのセリフだ。ろうがい病みの虚無を見た男、というのが、この映画でのフランキーの実の姿だ。
高田も、所も、ときどき、ほんとにつらそうだ。
この話はここで終わる。これ以上追及したくない。
◆一方で、だめ男の系譜
映画を見た知識の厚みがないので偉そうなことはいえないが。
森雅之 森繁 を継ぐ流れ、では、ないな。
だめ、というのは、女とからむ、という意味。
女とからむだめ男。
植木は、女とからまない。からむタイプでは、ない。
◆淡島とからむ森繁にはだめだが達者、というかんじがある。
そこへいくと、伊香保で、自分の女と友人夫婦の三人でこたつで一杯やりながら、友人の女ととんづらする森の破滅への道筋は、すごい。
後先考えない。もちろん林芙美子さんの原作なんだろうけど、あの、映像のはまり具合は、どうだ。
この勝負、森の圧勝。
森の、とほほ感。
ほんとに、身につまされるんだよ。
なんだろう、勇気でるわけよ。