啓発舎

マジすか? マジすよ

瞋恚、或いは、憤怒としての私

◆メディアがだめになっているのは、たいへんいいことではないだろうか。
 テレビ だめ。
 新聞 だめ。
 それ以外の活字マスコミ だめ。

 あろうことか、その当事者であるメディアが、これを悲憤慷慨してどうのこうの言っている。
 他人事か。

 まず、行き着くところまで、いくべし。

 原因は、金。続いて、人。
 金がない。故に人がいかない。こぎと えるご すむ。

 生の情報と受け手の感性。
 それを加工する媒体が、だめになっているんだね。
 或いは、もともとだめだったのに、これを独占しているということだけで存続していた、ということが、ばれちゃった。
 たまに、紙の朝日新聞読むと、ほとんどネットでみた記事、通信社の配信なんだろう。
 腕のみせどろころは、コラムだの特集だの、「加工」しているところなんだろうが、これがチープ。

 で、どうなるか、というと、一人ひとりの主体性。

 今日未明、なんたらかんたらで強盗が・・・ と、まなじりを決して女がしゃべる。
 次、皇居で授賞式が・・・、とにこやかな笑顔。
 こういうことは、もうやめにしようよ、ということではないですか。

 ネットなら二行、30秒だ。
 しゃべくる女の凶暴な顔もみないですむ。

 そも、情報そのものをスルーすることができる。

 TBSがゴールデンタイムのニュースをやめてバラエティに戻すらしい。
 秒読み、の様相を呈してきたようだ。

◆瞋恚というか、憤怒、というか、体がそういう状態なんで、どうしても、そういう素材に向いてしまう。

◆だめなものは枚挙にいとまがない。

◆なんか、いい、ことは、あるか。
 およそ静謐に向かうもの。それが、いいもの の定義。
 なにもやらないこと、これが一番じゃないか、まじめに。

◆今日のタイトルは、森村泰昌氏の語法のパクリ。