啓発舎

マジすか? マジすよ

プレヴィンのモーツアルト

arjunachrishna2009-12-13

N響アワーは聞きものだった。アンドレ プレヴィンのモーツアルト。40番と39番。
40番が出色。
解説の西村朗さんは、明るくて清澄と言っていたが、私には、死の予感が、それも、はっきりと、すべての楽章を通じて伝わってきた。あるいは、プレヴィンさんの告別の言葉か、と思ったぐらい。
 人さまざまだ。西村さんは、割と好きだが、演奏についての感受性は、当方とかなり違う。
 39番の終楽章がお好き、とのことだが、当方は、晩年の交響曲のなかでは、39番は、少し、聞き流してしまうところがある。あくまで晩年のあの、そびえたつ傑作群の中でですよ。
 それにしても、清澄な秩序を弦の二度、短二度のきぬずれ(月並!)の響きで少しずつ崩し均衡を失わせていく、奈落とまではいかないが、幽冥境を異にする、その幽冥のぎりぎりの世界を現出する、あの流れは、ほんとうに絶後だと思う。
 能はそれを定式化していて、ある種マニエリスムの世界にどっぷり浸かっているが、意外やヨーロッパのしかも理性の世紀の中で、こういう時空を実現する人がいたんですね。
 プレヴィンは、40番で、それを正確に表現していた。

 死を招き寄せて時空の究極をつかもうとするのは、日本のお家芸だと思っていたが。

◆自らに問う。東京にいても、どこにいても、昼間なにをしていても、それなりに化学変化は起きている、とみるべきか。