9時5時の身すぎ世すぎの稼業が、けっこうなかなかだ。
なにをやっているか、といえば、脳みそをつかって情報処理をしている。
たまに、外にでて、緑に接したり、窓越しに夕焼けが見えたりすると、どきっとする。直接知覚は強力だ。脳みそで情報処理していないから。
昨日早く帰って、ずいぶん長い時間マーチンD45と遊んでいた。
半音階のうなりがたとえようもなく美しい。
直接知覚の強さ。
早く、五感のセンサーとしてのみ生きる、そういう境遇になりたいものだ。
9時5時は、まわりの人間も、処理すべき何バイトかの情報の塊にすぎない。それはそれで気楽ではあるのだが。
人間の営為というのは、たとえば、70のおばあちゃんが、そこらの商店の福引であたったビニール製のひな人形に、森永チョイスをおそなえして飾る、というようなことだ、うちのおふくろのことだが。
あるいは、夫婦で毎日河川敷まで散歩して、その日の夕日の採点をする、というようなことだ。
外は雨だが、雨音は普遍的。