啓発舎

マジすか? マジすよ

例によって起きぬけ、しかも前夜のなにでいつもに増しておつむがへろへろであります。


音楽は、聴くのとやるのと、どっちがいいか。
聴く、ことに創造的な意味があるか。


やる、ことの中にも、聴くという行為はかならずあって、また、それがないと、やる、ことの意味がない。
一方、聴く、ことには、やる行為はもちろん全然ないので、ソファに沈み込んでいるだけなので、やる、ほうが、おつむのなかで多くの情報処理が行われているとは、とりあえず、いえる、とは思う。

ところで、では、聴く、のは五感で音楽を感受しているだけか、というと、楽器をいじくったり周囲の状況を目視したりする手間がないぶん、同時に、なにかが浮かぶというか、フラッシュバックというか、そういうことが行われていることに、気づく。
そういえばあの時、とか、音からひっぱりだされる視覚的なイメージとか。


やってるときは、そんな余裕ないですよ。


それを、今回、ふと思った。



という記述から、きのう、当方が「やっていた」ことが明らかになるのであるが、やる、ということには、そういう、純粋それだけ、という要素がある。

やるしかない、純粋な継続。

音楽は進行するから、後戻りできない。
その中で、時空間に、打ち込んでいくかんじ、その、自分のなにがしかを。


ジャズ方面がスリクと縁が切れないのは、わかる。
もっと、もっと、ということです。


自分のちっぽけさがわかる、というのは、よいことだ、と私などは思います。
音楽はアマチュアに限るね。
と、言いながら、トホホ感の残滓が残っていたりする。




というわけで、来年七夕あたり、しかも曇りだったら1年延期、のスケジュール感でとりあえずソファに沈み込む日常を取り戻したい。
もう年だよ。