啓発舎

マジすか? マジすよ

欅と白鳥

きのうの昼、例によって和田倉の噴水から正成公のほうにぶらぶら歩いていたら、欅の大木が、体に染みた。
おにぎり3つ食って引き返すと、お堀で白鳥の夫婦に出くわした。これも沁みた。
東京に帰ってから、こういう体験は、はじめてではなかろうか。
当方の意識のレベルが、欅とか鳥とかにダイレクトに感応した、ということ。介在するものなしに。

樹をみると休まる。鳥の声を聞くとゆるむ。
樹と鳥と、には、なんだかよくわからない親近感がある。

樹と鳥と、その、樹の地平、鳥の感性を共有する感覚。

結局、そうやって、存在、調和、遍在する意識、でぼーっとしていること、このぼーっとしているということが大事で、時間をあじわう、ということだが、まあ、ぼーっとしている、ということが、この先当方がやっていくこと。