そうだ、加藤周一氏とオシム氏が瓜二つであることが原因なのだ。
積年の胸のつかえがおりた。なんで、もっと早く気づかなかったのか。
唐突だが、以下、説明する。
オシムをはじめてテレビで見たとき、刹那、この人はどこかで会ったことがある、というデジャヴ感が。
その後、その言動を伝え聞き、ますます其の感覚が強まった。
スポーツ新聞のネタになる情報は、いろっぽいネタを含め、あまり興味ないのだが、以来、この人についてだけは妙に気になっていた。
それが、今日昼飯を食っていたら、突然、加藤周一とオシムが結びついたという次第。
加藤氏については、三島由紀夫のエピソードが印象に残る。
うろ覚えだが、例の、太宰治に会って「あなたが好きではない」と面前で言い放った、と本人が主張する(後年、太宰の編集者であった週刊新潮の元編集長が、自らの著書で、それは三島一流の作り話だ、と、週刊新潮魂で論駁していて、当方は、この編集者の見解のほうを採用したいが、今回の論点からずれるので今は措く)会見記のようなものに、太宰のとなりに加藤周一氏が座っていたが、検事のような感じが煙たくて避けていた、というような。
加藤周一=検事=鬱陶しい というのは、三島にしては素直な人物評で、そのニュアンスはわかる。
オシム氏が検事みたいかは、わからないが、説教癖は、加藤さんと共通ですね。
しかも、あの断定するかんじも。
云ってる内容も似ているんじゃないか、よくしらないけど。
ここで、顔は思想を決定する、という仮説が成立する。
加藤氏が、米寿を迎えて、ますます意気軒昂に森羅万象に容喙し、不心得者を叱るのは、顔のせいか。
観世栄夫氏も共通するな。
ぎょろ目、仏頂面。
古本屋のおやじにもよくいるタイプだ。
昔近所の駄菓子やにこの顔のオヤジがいて、5円のくじでずるをしようとするガキを目ざとくみつけては、てめえの了見は、などと頭ごなしに叱っていた。
説教面。
そんなに嫌いじゃないな。