近衛の糸桜八分咲きの報に接し、居ても立ってもいられなくなった。
西行の気持ちがわかる。
吉野山木ぬれの桜を見し日より心は身にもそわずなりにき
だったか、うろ覚えだが。
あした休んでやろうか。
あの、ローマのチボリ宮殿でみた、裏からみる噴水のような。
天から光のつぶが降り注ぐような。
フェルメールが見ないでよかった、見たら、自らの画業の限界を見極め筆を折りそうな。
時間が凍るような。
心の芯が溶け出すような。
この世に生を受けた奇跡に頭を垂れるような。
桜の精は、紛れもなく存在する、と確信できるような。
能の西行のストーリーを、笑わず素直に鑑賞できるような。
真摯な感動が発端でも、自由に連想をしていくと、どうしてもおちょくり路線になる私を、神よゆるしたまえ。
でも、云っとくが、当方にとり、能のよさは、究極の無意味さにある。これは譲れない。
京都御苑の糸桜のことだった。
はやく土曜日になれ。
風ふくなよ。