京都御苑は近衛の糸桜と逢って来ました。
今出川の駅をあがったあたりから、気分が妖しくなった。
1年ぶりに大事な人と再会する、そういう気分。
1年ぶりの糸桜様は、去年とかわらず、別嬪さんでした。
2時間いました。
樹の下から上を見上げると、豪奢な光のシャワー。
石のベンチに座って見呆けていると、時折、垂直に垂れた彼方の梢が、風に促されるように、物憂げに揺れる。
花びらが、さらさらと降る。
自分の奥深いところが、それに呼応して揺らぐ。
なんだか、たまらない心持ちになる。
楽しいのか悲しいのかわからない。
生きるということの原初的な感覚が呼び起こされる。
例によって、賀茂川を北山へ。
賀茂川沿いは、まだつぼみ。
北山進々堂でランチ、ビール。
京都文化博物館で、フリーマーケットおよび「乾山の芸術と光琳」展。よかったが、糸桜様のあとでは、なにを見ても、という感じもあった。ただし思うところは結構あって、この展覧会については、別途稿を改める。
肝のところだけ言っておくと以下。
・乾山とも光琳とも関係ないのだが、参考出品のようなかんじで、光悦の銘村雲(といったか)の茶碗とか、仁清の茶碗とかが展示されていた。宗入の黒茶碗も。
光悦と宗入を並べると、芸術家の独創と、手だれの職人技の違いが瞭然。
楽も、利休が長次郎に焼かせたときは、この世に新たな造形の美が出現した、というレベルの事件だったのだろうな。
・乾山は、光琳との合作が一番いい。緊張感がある。
光琳の、竹の筆致。
・なんでもとりいれる新しさが、乾山さんの売りか。
カラフルな石垣模様、デルフト焼きに影響受けたという染付け、など。
でも、琳派のあでやかさ、美しい、ということだけを追求する、ある意味臆面のなさ、が、やはり真骨頂だと思う。
混じり気なし。大好き。
生八つ橋いりのどら焼きがちょっと話題だったのだが、買わずに帰る。
フリーマーケットは9割が女のアクセサリー小物の類い。縁日で外人が地べたにならべているのと五十歩百歩。
この種の企画は、なんとかならないか、もうそろそろ。
寺町通りを京都市役所まで出て、蹴上、南禅寺へ。
インクラインも南禅寺も、見頃は来週ですね。
人もまばらで落ち付いて、いい雰囲気。
三門から東山に向かい左手の例の古木だけ、健気に、という風情で咲きほこっていました。
ジュンク堂で、「苔とあるく」「俳句歳時記」を購入。
阪急電車で「苔とあるく」読了。
ただものじゃないです、この著者は。
なにより、天性の文章家。
虫屋によくいるタイプのような気もしますが、そうだと、男ですよ。女にはいない。
この人、マインドは男か。
田中美穂さん。女性のようです。
おいしくお酒が飲めそうな感じがする。
というわけで、盛りだくさんな一日。情報量多すぎ。