図書館。
◆音楽の友
演奏会評でブロム爺の田園を絶賛していた。
例によって精神性だのなんだの。演奏の内容には全く触れず。
柴田なんとかという奴。
あの演奏でテンポに言及しない評があり得るか。
いま、プロの音楽評論家という職業が成り立つかどうかはおくが、およそお鳥目を頂戴して、ここまでダメなライターが棲息できるのは、この業界しかないのではないか。
◆新潮12月号
例の新潮45問題について何人か寄稿。
全部ダメという予断で読んだら一人だけまともなのがいた。
桐野なんとか氏。
出した三日後にお詫びで一週間後に休刊はないだろう。
編集長の実名をだして、こいつの弁明も一切なく、責任の所在も曖昧なまま幕引きとはどういうことだ、というような内容。
おれさまの感想と同じだから褒めるのではない。
他の奴は、ブンガクがあーだ表現がこーだの。ブンガクは善悪の彼岸に位置するか、だの、ポリコレとの関係は、だの。
いつもの寝言、空語。
おれなんか、ブンガクとは縁もゆかりもない衆生だが、善悪のはるかかなたで普通に日々やってます。
パリコレはたまにBSで見る、ほんと、が、ポリコレなんか鼻もひっかけない。
「新潮」という同人雑誌に蝟集する二流の人士が、いまだに、わからん特権意識でアホダラ経をぶつぶつとなえている。
というのはいつもおことだから、今更どうでもいいが。
今回一番ダメなのは新潮社の腰砕け対応なのは、特に書く側からは自明だと思うんですよね。
編集に、きついの一発かましましょうよ、とおだてられて与太書いたら、いきなり後ろから鉄砲で打たれました、そりゃないだろう、というのが本質だ、というのは、だれでも、部外者のおれでもわかる。
それを棚上げして、ブンガクとゼンアク、ポリコレとパリコレ、みたいな暇話に日和る。
唯一それをしない桐野氏の男気、だけがひかる。