啓発舎

マジすか? マジすよ

08.2.27

土曜日から数えて休みも今日で5日目になる。

 篭城。 

10時ごろやっと床を離れ、ありあわせのもので黒ビールを飲み、郵便をのぞきにいく。
 サンダルを突っかけて、エレベーターに乗る。
先客がいる。乳母車を引いた若いお母さん。

 4階から1階まで、狭い空間に同居。

 このアパートのいいところは、住人の方々が皆、互いにきちんと挨拶を交わすこと。
 このお母さんも、「こんにちは」と快活に言葉をかけていただいたが、その相手は、無精ひげ、どことなくアルコールの匂い、ジャージー、焦点定まらないまなざし、おやじ、という幼い子供を連れた母親(じゃなくてもそうか)にとって最も警戒すべき属性を悉く満たす手合い。

 身を固くする御婦人の気配をひしひしと感じつつ、あさっての方向を見やり、ドアが開くのを待つおやじ。

 2日ぶりに外界と接し、自らの状態を謙虚に受け止める。

 で、なんだ、まとまった休暇があるといつも思うことを述べる。

人には向き不向きというものがある。

 ほっとくと否応なくそういう仕儀に至る、ということが一番分かりやすくその人間の志向、指向、(おそらく後者の「指向」が適切な表記だろう)を示す、と、今、仮に定めよう。

 だとすると、当方の指向するところは、ずばり、単なるプータロー。

 隠者とか遁世とか自分では聞えのいいことを言っているが、要はそういうことか。

 長い休暇にはいつもそれを思う。

 いいじゃないか。

 自分にも、得意分野があるのだから。
 無為にぼーっとすること、という。

 この先自らの往く道に、通奏低音として、この「ぼーっとする」というオルゲルプンクトが随伴してくれるだろう、という想いに、しばしうっとりとする。




 明日から、また俗塵にまみれる日々が始まる。
 予定どおりに推移すれば以下。
 28日朝から京都、大徳寺で茶会。瓢樹で昼食。のぞみで東京へ。晩、神楽坂で会合。
 29日、神保町で打ち合わせ。その後荻窪で業務。さらに下北沢へ挨拶に。晩、自宅で業務打ち合わせ。
 30日朝から津田沼方面。31日のぞみ(700系だ)で帰る。
  茶会はネクタイどうしようか、却って仰々しいからやめようか、スーツ着ないし。神保町の件は、これから書類づくり、荻窪は懸案は峠越え残務処理だからここだけまあ気楽か、下北沢へはどう行こう、いったん吉祥寺にでて井の頭線か、新宿から小田急か、手土産は虎屋の雛井籠(東京じゃ売ってないから)と決めているのだが、御所のとなりで買うか、京都伊勢丹か。
 津田沼方面は・・・これは略。

 これから助走をはじめる、というところ。無為の芳香の残り香を味わって。