啓発舎

マジすか? マジすよ

書名 昭和の文人たち
著者 江藤淳
出版社 新潮社

 京都寺町通に「三月書房」という、知るひとぞ知るしぶい本屋さんがある。文学オタクの本屋。新刊書中心ではあるのだが、品揃えがしぶい。東京でいえば、そうだな、「書原」のようなかんじか(書原:説明略 はてなでリンク貼ってくれ)。おととし、阿佐ヶ谷に用事があって、書原の本店に初めて行ったが、靴のディスカウントショップの奥のごみごみしたところに、雑然と書棚が並んでいて、すこしおどろいた。
 この本屋をはじめて知ったのは、虎ノ門の支店に、たまたま立ち寄ったのが最初だった。
 このあたりを通行する人といえば、役人、サラリーマン、特殊法人・団体職員といった、うんざりするような人種。オレも実は昼はそうだ。本屋も、したがって品揃えは、だいたいビジネス書、法経・・・てな感じが一般的だが、ここは、平積みからして違っていた。虎ノ門で、書原の品揃えは、ちょっとインパクトありますよ。
 で、なんだか、精神世界系の本を、ついつい買ってしまった、そのころ(7〜8年前だ)は既に精神世界、ニューエイジからは足を洗っていたのだが。
 でも、八重洲ブックセンターの2階だったか3階だったか、心理、哲学コーナーのオタク的充実もなかなかのもんだし、おとうさん達の心象世界も奥深いのかもしれない。

 どうして寄り道ばかりするのだろう。

 で、三月書房の狭い店内で、吉本隆明のこれでもかという背表紙群と対峙していると、ふと、その名もずばり「江藤淳」という評論に目がとまった。著者は、高澤秀次という知らない人。客の女Aのエキセントリックな在庫照会「ロートレアモンの*▲&$#がなんでないのよ」に堂々と受けてたっているグラサンの黒沢明風の店主。お取り込み中なんですが、てなかんじで、割り込んで買ってきた。背表紙の「江藤淳」という文字だけ見ての衝動買い。
 なかなか面白かった。しかし、それは本題ではない。

 江藤淳氏とのつきあいも長い。そもそも、中学の頃・・・。ほんとにオレの興味は悉く中学生時代に遡る。その後は、なんにもなしか。

 当時、大江健三郎オタクの同級生がいて、当方軟派のバンドマン、先方理系の優等生だったが、このテの話をよくしていた。実は、いまでもしている。この3月に会ったときは、しかし、麻布のパーティー屋→麻布十番の居酒屋→下町の焼肉や で、べろんべろん、何話したかすっかり忘れた。

 で、当時大江に江藤がやたらに噛み付いていて、当方は、それをパクって大江をくさしていたのだった。大江も、初期の「芽むしり仔撃ち」あたりまでは、よかったですけどね。
 
 江藤さんとは、それ以来のおつきあい、お世話になりました。
 私は、なんだか、この人とはウマがあう。理屈じゃなく好きです。当時から、毛嫌いする奴が多かったけど。基本的には、嫌われキャラですよね、江藤淳さんは。

 特に、この人の不機嫌というか、メラメラと燃えるような怒り、瞋恚。
 題材はどうでもいい、この人、たまに爆発することがあって、村上龍芥川賞とときとか、日本国憲法をめぐる論争とか(小林直樹をキョゴウ〔変換不能)な学者と切って捨てたのは、おーと思いました。当方、ちょうどそのころこの人に駒場憲法教わってましたから)この人の怒りが、読む当方に、カタルシスになるんですね、何故だか。

 欺瞞とか、うそくささ、とか、そういうものに対する感性が異常に鋭い。
 自らの育った戦前の山の手社会の崩落で、戦後的な、あざとさ、とか下品さとか、そういうことどもに容赦ない。
 そこらへんの分析は、高澤さんとか、世の識者にまかせますが、当方は、彼の怒り、そのものを鑑賞したい。

 今回あげた「昭和の文人たち」も、いま手元にないのだけれど、白眉は堀辰雄攻撃です。堀辰雄のいかがわしさ、うそくささ、欺瞞、偽善をとことんあげつらって痛快です。
 堀辰雄は、当方、少年期、幸いはまることなく適当に素通りしていたのですが、最近、当方もなにかと奈良のあたりは徘徊することが多いので、「大和路信濃路」を青空文庫で再読飛ばし読みしてみて、内容の薄さにあきれました。安手のナルシスト。やはり、若い頃読んだ本は、分別つくようになってからチェックしたほうがいい。

 話戻す。
 堀辰雄については、そういう訳でご同慶ですが、実は、後年、文芸春秋あたりで、保守派の論客として、江藤氏が口をすっぱくして攻撃する事象には、当方、どうでもいいんだよな、ということも結構あった。
 でも、その憤怒の感情そのものを追体験するのが生理のレベルでの快感になっていて、まめにチェックしていました。

 いま、弟子のなんとかいう人が週刊新潮あたりでなんかやっているけど、エピゴーネン、品性・器、比べ物になりません。