恒例、この季節は、数字。
今日も、わりとやりました。
で。
リヒャルト。
このひとは金太郎あめなので、どれがどれよりよい、とかいうことは、ない。
作風も、たとえば、サロメとカプリッチョは、外見はえらい違うが、やってることは一緒、少なくともおれには、一緒に聞こえる。
だから、安心なのだ、このひとは。
つくづく思うのは、脚本家の凡庸さだ。
ホフマンスタールが全然ダメ。
wikiみると、リヒャルトとホフマン某と応酬しながら練り上げていったらしいのだが。
リヒャルトは、むろん俗物界のチャンピオン、ワールドスノッブトーナメントの覇者だから、まあいいが、相手は選べよ。
リヒャルトとこいつだttら、こんなのしかできないので、筋にはあれこれいわないほうがよい。
影のない女が、難解だの哲学だのいうが、難解にみえるのは、とっちらかっているだけです。
無駄に詰め込んでるだけ。
じゃあ、刈り込むとどうなるか、というと、何も残らない。
二組の夫婦がどうのこうのというが、夫婦二組のsれやらこれやらをきちんと描き分けるのは、オペラでは無理だ。
無理、は、ちょっとあれだが、よほどの手練れじゃないと。
これは、バラクの女房、とタイトルを改めて、再構成したほうがいい。
サロメは、もともとオスカーワイルドの原作がダメ。
おれは、岩波が★ひとつのころ買って読んだが、ガキだったことを割り引いても全然当初から、だからなんだ、と思った。
びあずれーの挿絵と★ひとつ、黒星は50円だった、たしか、の安さで救われたようなもんだ。
オスカーワイルドの才能は、自分を100倍立派に見せかけることのみだから、まあ、これもどうでもよろしい。
リヒャルトは、どんなつまらないセリフにも大げさに音をつけるので、その音の集合体を聞き流せばよい。
これがリヒャルトを聴く骨法だ。
それ以外は、ない。
リヒャルトは、聞き流すと、全部、よい。
だから、指揮者を選ぶ。
指揮者は、ショルティを措いて、ない。
リヒャルトのどしゃめしゃを、きちんと腑分けする技術において、ショルティに比肩するものは、いない。
カラヤンなんか、軟弱です。
歌手は、リヒャルトの場合、女偏重だから、タフでしなやかなのを二人そろえれば、だいたいさまになる。
オーケストラは、腕が要る。
金管は、もう一段音量上げようと思えばあがるよ、という範囲で、つぶれない彷徨、じゃない、咆哮を、おたけびを上げる。
弦は、ややこしいdivisiを厭わずにやる。
それを最後まで持続する。
それらがすべてそろったのが、こないだのエレクトラだった。