きのうの話。
面つきあわせるのはそれなりに意味がある。
5分も話していると、だいたいわかる。
年のせいか、ヒトに対する見切りが、まえより速くなった気がする。
㋑鑑識の精度があがった。
㋺ヒトが、わかりやすくなった。
㋩単におれがせっかちになっただけ。
㋑はおいらの主観。
㋺は、相手方の属性。
ヒトは類型に自らをあわせるか。
㋩は、事実なので、ここで詮議しない。
㋑については、こういうことがある。
もちろん、現時点でそいつがどういう奴か、というのが、というのが肝心なので、それ以外はどうでもよいのであるが、そいつのN年後、こいつこうなるだろうな、というのは、つい浮かぶ。
どうでもいいが。
銭金のはなし、ね。
次、㋺。
いま、ヒトは、ほんとに単純に類型化できる。
女については、おれは、いじくっているかそうでないか、というのがある。
昨日の女のは、目が、昔の流行りの規格品だった。そういうヒトだった。
一回いじくると、そのあと流行に応じてメス入れ直す必要がでてくる。
野郎は、食えてるかそうでないかだけだよ。
いずれにしろ。
足もとかためてやっていくことだ。
自分を引き受けることだ。
いっても無駄か。
自分を受けとめる力がないから、そうなるのだから。