啓発舎

マジすか? マジすよ

ブンガクが、ヒトを腑分けする作業だ、と、今、おれが定義する。

と、ブンガクどうでもいい、というのは、ヒト全般に、向きやすい。

ヒト、どうでもいい、と。

で、実際、そんなことを折に触れ書いてきた、とくに最近。

 

ここで、念のためいう。

 

どうでもいい、というのは、殊更厭うとか、あっちいけ、という、そういうプラスというか、積極的な、能動を意味しない。

 

無駄なエネルギーをつかいたくない、というだけのこと。

 

で、こうやって、腕を前に出してあっちいけ、するのでなく、拒絶するのでなく、最小限のステップでかわす、やりすごす、で毎日概ね平和に過ごしている。

 

これはものすごく大事なことで、例えば地上波民放を排除する、というのは、ダッキングの基本動作だ。

 

電話を受けない、というのも、そう。

 

静かになってみると、如何にヒトが不要なエネルギーを強いるか、わかる。

不要な電話に、余儀なくつきあってしまったときの、消耗たるや。

 

ブンガクもそうなので、まさか今回の受賞作を読むことなどないが、そういう、ゴミを排する勘は、これからますますだいじだ。

 

おれのまわりがうまくいってるのは、みなさまがわかっているからだと思う。

 

暑苦しい情動でぶつかってこないからだ。

 

銭金だから、対立的状況は全然問題ない、日常、ふつうだ。

トレードオフが基本。

世の中万事、いってこい、です。

 

それを善意で仮構するから厄介事になる。

正義で装うから災厄が出来する。

 

おれのまわりの、付き合いの長い方々は、おそらく、それがわかっている。

少なくとも、おれがそういう料簡だ、ということはわかっている。

 

そういう、個、があって、ブンガクするのならいいが、ただの甘ったれがしょんべんなすりあう座敷犬のマーキングを延々やるのは。

 

ここでブンガク、というのは、もちろん例えで、およそヒトの営為は、そんなもんだ。

 

ヒト、みな、単独行が本来、というところから、社会を組みなおす、あるいはヒトの集団をみる視座を再設定する、ということをする契機に、今回、なるか。

 

ならねえだろう。

 

ユキヒョウの勁さをパチンコカントリーのヒトビトに求めるのは、無理だ。

 

いつもの繰り言になってしまった。