きのうの、ヒトと接する、の続き。
注意深くあらねばの話。
銭金以外のヒトとのやりとりだと、どうも、インタビューみたいになる、ということが、そういう展開がおいらの場合、多いです。
やりとりしているうちに、あっちが、やたらに聞いてくる。
づかづか踏み込んでくる。
またいつものか、と察知してまぜっかえしてぶった切る。
9時5時のころ、社会貢献だの会議で、ひとりひとり所信表明する、みたいな、くだらないのが、あった。
役員同席。
これは逃げられない。
語り上げるわけです、みんな。
地域のボランティアで率先してどうのこうの。
おれが禄をはんでたとこは、そういうのが好きだったのね。
おれの番になった。
諸外国の動向に常に興味をもって、うんたらかんたら、と殊勝にいったら、役員が、特にどこの国が、とか聞くから、アルゼンチンとポルトガルです、と即答したら、すげえ嫌な顔をされた。
時あたかも、サッカーワールドカップの真っ最中だったのであった。
だいたいこんなかんじで、ヒトを小ばかにする、ような印象を与えるようだ。
決してそんなつもりは、と書きかけて、いや待てよ、これはヒトを小ばかにすることそのものじゃねえか、とはたと、そういう仮説が、浮かんだ。
ヒトに、ほんとに思ってることは断じていわない。
それは、古くからの私の行動指針だ。
悲劇は、どういうわけか、なぜだか、おれと接する奴は、根掘り葉掘りつっこんでくる奴が多い、男女問わず、ということから起こる。
で、適当なこと言って終わらす、わけだが、この終わらす、という行為は、相手をバカにしてるから、とは言えないか。
るせえな、という意識で、当方はあるのだが、それだけのことなのだが、誰がおめえなんかに、というサインが明確に示されているのもまた、明らかだ。
だって、終わらせたいんだから。
特に、最近は、わかいぼくちゃんが相手だから、それはおれがじじいだ、という風にもいえて、どっちを基準に見るかだけのことだが、ともかく、若い奴は、おれが世間話始めると、やたらと先を聞きたがる。
で、こんなこと初めて聞きました、とか、感心するので、即座に興ざめして、「いやこれは隣のみよちゃんが言ってたことだけどね、で、例の契約のことだけどさ」みたいに露骨に転換する、いつものように。
このように、主宰は、ヒトに対して、常に注意を怠らない。
はは。