岩波図書12月号にはたまた触発された。
◆この5年ぐらいのヒトの味方の変遷
◆で、これから。
目標30分。
勤め人をやめたので、さぞ、それまでの人間集団に属することからくるバカバカしさが去来して、そういう人種に対する嫌悪が増大するか、とぼんやり思っていたのだが、6年経つが、そうでもない。
別段、人間集団でもがくヒトビトを美しいとは思わないが、イメージが好転することはないが、悪くなることもない。
これ以上悪くなりようがない、ともいえる。
それ以前に、およそヒトの集団でほのぼのやる、ということが虚妄だ、というのは、割合、じつは、共有されている、というかんじもある、底流で。
表向きは、ふれあい、だの、みんななかよく、だの、が社会n建前なんだろうけど。
いかん、これは今回の主題ではない。
では、どの階層、というか、に対しての思い入れ、というか、予断というか、がかわってきたか。
ブンガクおよびその周辺。
人文系のなんとか学周辺に蝟集する有象無象。
だ。
おれ自身は別にプロの研究者ではないから、まさに「周辺」に蝟集する有象無象であった。市井の。
だけど、それ、もうやめるよ。
こいつらがどれだけクズか。
例示する。
◆「のっぺらぼう」への誘惑
稲賀繁美 というヒト。
最後で。
◆ルドンとハーンは精神的な隣人だった。
◆二人の間にルドンと親交のあったゴーガンをおくとわかる。
◆ゴーガンはハーンと同時期に同じ場所、サンピエール、にいた。
◆二人は面識ないまますれ違っていた「はず」。
◆だから「精神的」な友人だ。
正気か。
たまたm同じ場所ですれ違っていたかもしれない、という、地理的、しかもかなり不確かな推測にすぎないことで、どうやって「精神的」な隣人といえるのか。
「場所的」が、どうやって「精神的」につながるのか。
ここで、空語、ということば、が突然でてくる。
気に入っている。
これ、内田樹先生が、論的を誅するときに、よく使う。
おまえが言うか、というべきコトバだが。
人文系って、この場の勢いででたらめでもなんでも、こじつけられるんだよね。
それを思ったのは、井筒俊彦、このひとは、ときどき破綻するが、なんでも禅にもってきたがるが、アプローチは誠実です、それをエピゴーネンの安藤なんとかが、叩いて叩いて曲解して、理屈と感情をごちゃまぜにして、わけわからなくする。
一時、生前の井筒の追っかけで、私はあったので周辺も読み散らかしていたが、こいつにあたったのはフグレベルだった。
ロジカルに文章を読むくせがどうしても抜けない奴は、こういうのに近寄らない方がよい。
だから、今回のにも、これ以上、近寄らない。
きらびやかなだけ、やたらに方々から学識の断片、がらくた、ということです、を引っ張り込むだけ。
もうこういうことはやめたらどうか。
およそこの島国の大学以上の研究機関の法、経(これも怪しいが)を除く組織を官立民間にかかわらず全部つぶしてそこに属する連中を一回、えーと、区役所の窓口業務にでも、全員異動させて、とかしないと、ダメなんじゃないの。
なんか、ホリエモンみたいでなんだが。
30分限度ですね、このネタは。
高校生俳句選手権のつぶらな瞳に接した翌日であってみらばなおさらだ。