啓発舎

マジすか? マジすよ

岩波「図書」7月号届く。

寺田透についての言及があって、懐かしかった。
関西にいた時分、京都に遊びに行くと、どうしても禅を避けて通れなくなり、手当たり次第に読み散らかした時期があった。
そのころ、叢書だのなんだの複数の書き手を寄せ集めたものなんかで、面白いな、と思って筆者を確認すると、寺田氏だった、ということがよくあった。
道元についても、「こちら」サイドからのアプローチで、論をたどりやすかったように思う。中身は全部忘れたが。
そんなわけで、長いこと寺田透という人は、宗教学者か歴史家か美術史家か、いずれにせよ、この国関連の学者と思い込んでいた。
専門はおフランスだったと知ったのは最近です。
その名も「わが中世」という一冊が、いまだに当方の一軍本棚にある。
久しぶりに開いてみると、唐木順三の「無常」に、「ふたたび」、「みたび」、とちょっかいを出して、おもしろ、だったりする。正岡子規かよ。


「前置き」というのが、また面白くて、中世は、いったい、いつ始まっていつ終わったのか、いろんな作品を挙げて論証する。
論の中身はどうでもいいが、そこで挙げられる、平家だの今昔だのの作品が、ゴージャスに響く。生きている。
論の中身はどうでもいい、と書いたが、どうでもいい、こともなくて、今昔と宇治拾遺をとりあげて、今昔は、仏教説話をまじめに受け取るが宇治拾遺は茶化す、この批判精神があるのが中世の始まり、と、おれが要約したが、そんな進め方をする。
図式的だよ、そりゃ。
権威をおちょくるのは、ヒトのDNAですよ。時代と関係ねえよ、おれの人間理解では。今昔、に、坊主をおちょくる話はいくらもあるぞ。
今昔をひっぱられると、ナイトキャップにこれを使っているおれさまは、すこし言いたくなる。
が、それは本稿の目的ではない。



「図書」で寺田氏に言及した筆者は、実際にその薫陶を受けた。
「最近映画は活動というものを見ていませんが」といい、それから、一息おいて「最近というのは先の戦争が終わってからですが」と言ったそうだ。
先の戦争、というのは、賢明な「図書」読者は先刻ご承知、おれさまがいまさら言うまでもないが、念のために注釈すると、これはもちろん応仁の乱をさす。


ハハ。