啓発舎

マジすか? マジすよ

箇条書き
◆コミュは必要悪。
 ヒトとの交渉はないに越したことはない。が、いまの世の中は、それだと生存できないようにできているので、文字通り食うために最小限の接触はしないわけにはいかない。必要悪、というのはそういう意味。
◆過剰なコミュ力は単なるおせっかはい。
◆コミュしない力、こそが、尊い
◆それをわきまえているかどうか。


最近、ヒトの集まりに、なりわいの必要からやむなく顔を出すと、本来の趣旨そっちのけで、もっぱら観察の場になる。
きのうもそうだった。

コミュしてくるんだよ。
それでわかるのは、コミュの本質は、ヒトを支配しようという情熱です。
きのうの集まりは、お互い強制力のない仲良し団体、という設定なので、こんどアレしましょう、とかいうのももちろん任意だ。
言い出しっぺは、そうはいっても、なんとかまとめたい。
それで、あのテこのテ。
だれさんもかれさんもやってます。
そうですか。
二の矢は、イズムだ、集団の論理。みんなで力をあわせて、とか、助け合い、とかその類。
人類愛とか、ヒトして、とか、貴様それでも日本人か、とか、キリスト様とか、尊師のポアの教えで手をかけました、とか、いろんなバリエーションがありますね。


なぜだか、みんなでなんかやる、ということは、無条件に、無批判に、是、とされる。この国では。よその国はしらない。

仲良きことは善きこと哉、という武者小路先生のお言葉とかぼちゃの絵がこの国の国是であり、象徴である。


「みんな」という時点で邪悪だ、という、おそらくヒトに関する唯一の真理が、なぜかこの国では共有されない。



ではなぜ、集団に加わる、あるいはなんらか交渉する、ということをするのか。
飢え死にしないためです。生存のためです。


したがって、その機会を最小にとどめること、接触やむなきに至っても「なわけねえだろう」「しるかばかやろう」の精神で脇をしめること。


ヒト社会で生存を確保するための技術は、これだけで必要十分だ、おれは。

以上、きのうの所感。