◆共感、ということ。
まず、奏者の共感。これは、作曲家に対するおもいと、指揮者への、指揮者の音楽に対する気持ちの同期と、ふたつsる。
そしてなにより、指揮者の作曲家に対する共感。
前者の、奏者の主観は、これは、好き好きだからしかたない。
シベリウスが難しいのは、奏者の曲に対する肯定的な思いが集められない、ということが、絶対ある、と、おれは思う。
聞いていても、弾いていても、どうもピンとこない、というあのかんじ。
おれなんか、2番をやっていても、そう思う。
4、5年前、当方の参加する楽隊でシベ2をやったが、そのときはおれはそもそも乗らなかった。
ところで、パーヴォは、シベリウスは、得意、ということになっている。
エストニアもフィンランドも、近いし、寒くいし、おなじようにソ連にいじめられて、というは程度の理由では、まさか、ないと思うが。
きのう感じたのは、そもそも、パーヴォは、ほんとに、シベリウスがお好きなのか。
当方、あまりピンとこないシベリウスだが、6番7番は、すきだ。
ベルグルンドという導き手が、あった、ということはおおきいが。
マーラーやらメシアンやらは、なんとか胡麻化るかもしれないが、こういうシベとかブルックナーとかは、どうしても、ね。
パーヴォは、なんか、実務家として有能そうだから、企業の経営者とか、半導体の技術者とか、そういうのはこなせそうだ。
だが、よりによって。
一番不向きな、音楽、を志してしまった、というのが、どしtも、おれの見立て。
なんか、やるせない思いを一晩明けてもひきずっている。
口直しに。