啓発舎

マジすか? マジすよ

N響 ソヒエフのプロコフィエフ

第1872回 定期公演 Bプログラム
プロコフィエフ組曲「キージェ中尉」作品60
プロコフィエフ/スキタイ組曲「アラとロリー」作品20
プロコフィエフ交響曲 第7番 嬰ハ短調 作品131「青春」
指揮:トゥガン・ソヒエフ

例によって、ビールビールワイン。
今夜を一言でいうと。


まわりのじいさんたちは熟睡していましたが、おれはばっちり起きていた。


確かにプロコは渋い。おやじが寝るのはよくわかる。


だが、今夜こそ、N響のラジオオーケストラとしての、放送響としての面目躍如だった、寝るのはもったいないぞ。
なにからいこうか。
思いつくままに。
◆確かに技巧的で才気が勝つ傾向なしとしない選曲だと思うが、ソヒエフは、音楽していた。
例えば、一曲目のコンバスヴィオラトップのソロ、にチェロが加わるあたりの美しさ。
7番のシンフォニーの三楽章冒頭、弦がふんわりするところ。
マーラーとかショスタコと違って、プロコには、小理屈がない。
 もとはお蔵入りのバレーとか、トーキー初期の映画音楽。
 プロコの、不協和というのとも違う、あの独特のハーモニーで紡がれる純粋な遊び、愉悦を、今夜は存分に堪能した。
◆弦は、向かって右サイド、ヴィオラ、チェロが健闘。今夜は、コンバスもソロをはじめいい味を出していた。
木管、特殊楽器、金管の、特に弱音の精緻なアンサンブルも特記したい。
◆一言だけ物申すと、左サイドのヴァイオリン軍団に覇気が感じられなかったのは、すこし残念だった。
 これは当方だけの感覚かもしれない、大方とは違う印象かもしれないが、どうも、このところ、残像にあるのはパーヴォのバルトーク以後、のヴァイオリンが、どうも。
前回は、良くも悪くもキュッヒルさんが全体の7割の音量で弾きまくり、それなりの迫力はあったが、今回は、キュッヒルさんがいない分、正確に前回の3割の音量、および迫力ではなかったか。
ハハハ。
それはいいとしても、マスとしてのセクションとしての音が、ささくれ立つ、までは言う気はないが、乾燥した、溶け合わない、うるおいがない、このぐらいにしますか、その種の形容句が全部適合するトホホ感を、おれはあ感じる。
これは、人さまざま、押しつける気はない。
今後を見守りたい。
◆当方が選定するMBPはチューバ!
 と、コンバスソロ。


精緻なアンサンブルで、なんというか、耳を洗っていただいたソヒエフに感謝。