いつものようにぼーっとすごしている。
床から天井まで窓なので、真横に空がある。
強いて注文をつけると、雲一つないのがたまにきずだ。
蒼い、戸外の凛とした大気を感じさせる空も、よいが、刷毛ではいたような雲があったら、私の心象と完璧に響き合う。
などと相変わらずいい気なことを言ってます。
冬は、2時過ぎから4時ぐらいまで、こんな明るく透明な空間が広がります。
静謐。
今回の人生のゴールにたどり着いた、と、毎回だが、しみじみ思える所以。
話かわるが、静かでいるには、すこし技術がいる。
時空間は、このように、しん、としているのだが、自分の裡はどうか。
完璧な凪である必要はないが波風は少ないに越したことはない。
ひとつは、来し方行く末に、思い煩わないこと。
来し方は、うっちゃればいいが、先々はそうもいかない。
ところで、およそヒトのこの先を思いまどう原因は、100%銭金である。
だから、銭金について、まあなんとかなりそうだ、と見極めがついたら、あとはほっとく。
これで先行きの問題はすべて解決。
過去未来はそれでよいとして、「いま」、はどうか。
今、なんかごちゃごちゃしている、と思ったら、その原因は、100%、ヒトだ。
青い空白い雲は私に悪さをしかけない。
銭金も、今、この刹那には、抽象的な、観念にすぎない。いま、たったいま、なにか痛痒い感覚があるとすると、それはヒトが刺したり噛んだりしたからだ。ノミダニも、便宜上、ヒトに含めてしまおう、議論を単純にするために。
これの解決も簡単で、対処療法でよい。
駆除、あるのみ。
ヒトを退治すると、おまわりさんに叱られる。
ここで言っているのは、およそヒトそのものではなく、ヒトに関わるもろもろの事象をまるごとポリ袋にいれて生ごみの日に、きちんと出す、ということ。
簡単です。
で、こうして午後の時間が流れる。