啓発舎

マジすか? マジすよ

見田、じゃねえや、三田で定例会合。
帰りに
そこらで一杯やって、駅前の虎の門書房をのぞく。

会合があったため、ぼーっと、も、音楽、もできていないので、せめて立ち読みは、という強い意思などさらになく、単なる習性みたいなもんだ、マーキングか。
ここは、レジ前の、一番めにつくところが、新書平積みで、その品ぞろえに、店の矜持みたいなものを感じることもあったんだが、いまは、マンガに占領されました。KOの学生さんの嗜好でしょうね。マンガはこの国の高度な文化で、どーのこーの、にはおれは与しない。バカがながめるもんですよ。KOの学生とは、従って、つりあう。
で、奥の方に新書があるので、背表紙ウォッチングしてたら、以下にいきあたる。
◆日本の醜さについて 都市とエゴイズム (幻冬舎新書) 新書 – 2018/5/30
井上 章一 (著)


このヒトは、なかみはともかく「なわけねえだろ」の切り口が、ときどき、妙におれと波長が合うので、都度立ち読みはするようにしている。
「日本の醜さ」なんて、いいじゃないですか。
と思ったら、日本の街並みが醜いのは、おれがおれが、の発露なので、よくいわれる「協調性」など、全然ない、むしろその逆、という、わかりやすいお話。
そうですか。
で、早くもスカだとわかったので、しまいまで飛ばし読みせずにすんだ、呑んでたし。


街並みが醜いのは、鈍感だからです。
新宿とか渋谷とか、平気で歩けるのは、並みの感覚ではない。
以上。


日本人が協調性がある、だと、ばかも休み休みいえ、とおれも思うが、たぶん、街の醜さとは違う方面に現出している。


街が醜くなるのを止めるのは、公の力で、私権を制限するしかありません。
統一感さえあれば、そんなに醜くならない、なれない。
ところが、私権の制限は、この国には、なかなかなじまない。


だから、かろうじてすっきりした感じを保っているのは、地所が単独で仕切る、東京駅の西側ぐらいです、おれの感覚では。



街を醜くするのは、この国パチンコカントリーの集合知のようなものだから、才能のようなものだから、これからも磨きがかかるでしょうね。


めでたし。