啓発舎

マジすか? マジすよ

◆初期仏教――ブッダの思想をたどる (岩波新書) 新書 – 2018/8/22
馬場 紀寿 (著)


さっき、大手町で会合、おわって東京堂に立ちより、平積みになっていたのを立ち読みしたら、おわらなくなり、買ってしまった。


で、読了。


今年一番の収穫、と、今から宣言する。


「渇望」により自己が再生産される。

解脱とは、自己の再生産を停止すること。


と、言い切る。



「自己の再生産」ということばは、はじめてだ。


「未来の自己のために、現在、行動するという行動様式」(P180)が自己の再生産の意。

今晩なにを食べるか、はダメということか、これを停止したら生存が危うい、と反応するおいらは、「渇望」にまみれた凡夫、解脱などほど遠い。







長いこと、仏教の文献とはつかずはなれずでやってきた。
新刊書が目に留まるとチェックする、という手法。
ステレオタイプか、自分のどろどろの牽強付会か、そもそも支離滅裂か、で、がっかりすることがわかっていても、なにか新しい知見があるか、と立ち読みする習慣は、なくならない。
最近、といっても5年前ぐらい、のお茶大の先生の道元ものとか。南直哉の最初のころのとんがったかんじは少しおもしろ、だったが、南はよくいる理屈やの説教坊主でした、こいつは、あと個人的などろどろをおりまぜてくるから、すこしたちが悪い。最近賞とりましたね。まあそういうかんじ。



もどす。
ここにおいて、きのうだかおとといだか、おいらが罵倒した、「プルードンとジョンレノン」を、それこそ牽強付会で結びつけた珍説をひっぱりだそう、単に最近だから。

Imagine all the people living for today

の発想は、プルードンごときでなく、紀元前6世紀のインドで、すでに発現していた、ということだ。


20世紀半ばのリバプール、あるいは、トーキョーは、紀元前6世紀インドとダイレクトに結びついている。
ハハ。


ともあれ、言い切る、風通しよい。骨格がみえる。濃い。明晰。
この筆者は注目だ。