神保町で銭金の打ち合わせがあるので、どうしようか迷ったが、意を決して自転車で行った。
行きはよいよいだが、帰りはやっぱりこわかった。九段の坂の下で信号待ちしていたら、坂の上から突風が吹いてきて、しばらく続いた。
数字の話はあっさり終わったので四方山話。
メガがおれなんかにもちょっかい出してくる、というと、いや、そこら中ですよ、と。
相続ネタでつついて回っている、とのことで、おれにも心当たりあり。
ケチビシが、今度信託を連れて来るというので、おめえら仲悪いんだろ、というと、最近はそうでもない、というやりとりが、おれにもあった。
信山社がつぶれて新しくなった店をのぞく。
はやりの本屋カフェ。
肝心の、本は、まだ岩波なので、一応立ち読みはする。
以下、本題。
現代社会はどこに向かうか――高原の見晴らしを切り開くこと (岩波新書) 新書 – 2018/6/21
見田 宗介 (著)
結構長いこと読んでしまった。
本屋カフェで立ち読みする奴はあまりいないから、目立ってしまったか、と今思う。
なかみは。
寝言だ。
こないだ、ミニミニ大作戦のリメイクのやつをみたときに発見したテーマ。
愚作は、全部みるべきか。
ダメ、はすぐわかるので、見続けるのは無駄、であるのみならず、不快である。
即刻やめるべきところ、ダメを分析することには、自分に対して意味がある場合、どうしたらよいか。
傑作であるオリジナルとの対比自体は、自分に対して有益である、というような場合。
今回も、見田宗介がやっぱりダメだ、ということは、おれのなかでは、検証する意味はある。
こいつと、こいつの下にぶら下がる奴らは、ひとからげで、だめ。
そういう意味で、効率的ではある。
蓮実と一緒。
そいつに火もつく奴は、とりあえずダメ、と括れる。
ただ、こいつは親分、首魁なので、ダメ、は一応チェックするのか。
無駄だからやめるのか。
なんたら曲線に従うと高原だ、という前提自体、誰が認めたのか。
で、その高原の景色とやらは、あんたが恣意的に集めた、選んだものではないのか。
浅田と上野の減らず口をひっぱってきて、まだいうか。
というようなことを、いまさらおれさまがつぶやくのは、主宰の貴重なエネルギーの浪費ではないか。
もっと人類のために善用すべきではないか。
という、話。
ただ、立ち読みのパワーは、こういうところからでてくる、ということもあるので、ね。
さすがにこのネタは15分が限度だ。おわり。