啓発舎

マジすか? マジすよ

ブンガクだよ人生は、の時間です。

図書から。

岩波節オンパレードでみるべきものなし。
と、思ったら、ひとつひろいものがあった。
◆人間の尊厳 イリナ・グリゴレ
 少し抜粋する。

社会主義とは、宗教とアートを社会から抜き取ったとき、人間の体がどうやって生きていくのか、という実験だったとしか思えない

体が生きていく、という表現は面白い。


「宗教とアート」をぬきとった世界で、社会主義リアリズムのなかで、「精神」が如何に生き延びるか、という記述にはさんざん接してきたが。
なるほど、まずは「体が生きていく」のだね、なにはともあれ。


少し触発されたので、おれも書く。

「宗教とアートを社会から抜き取る」リスクは、この国も、感じた方がいい。
「宗教とアート」は習俗とか生活習慣とか美意識とか、置き換えてもよい。


「経済」だけで舵取りすること。カタカナの掟を無条件に採用すること、がそのリスクを現実にする、とおれは思う。

文化とか、習俗というのは、「体が生きていく」技術だ。軽くみてはいけない。
「グローバル」には、これを抹殺する副作用がありませんか、岩波さん。いかがでしょうか。
このあたりになると、どういうわけか、最近むきになってしまうところが自分でもあって、らしくないぜ、勝手にしなさいと俺らしく冷笑していたいとは思うんですけどね。


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この筆者は、ルーマニアの人らしいが、訳者の名前がのってないところを見ると、直接日本語で書かれたか。
味のある、面白い文章だ。


次。波。
本編は、当方ガス欠により略。

PR誌なので、たまには新刊予告にめを向けよう。
おれは、辛嘲新書には、密かに注目している。
落日の辛嘲社で、往年の名門出版社のお品格とか威厳とか内容の吟味とかをなりふり構わずかなぐり捨てた企画として。
下手な鉄砲も数打ちゃ当たる、こともあるかもしれない、とことんいくところまで地獄の底までいってもらいたい。
中身は、立ち読みでも絶対読まない、背表紙にも目をつむるから安心してくれ。


そういえば、おとといの一ツ橋のセミナーだかトークショーだかで、週刊誌で新潮が唯一文春に勝っているのがブンガク性だ、という発言だか負け惜しみだかがあった。
季節の描写だけで3ページははける、というような。
で、亡き斎藤十一が、と展開してなかなか面白かったのだが、週刊新潮にブンガクがあるかの議論は田原氏ほかにまかせるとして、おれにいわせれば、いまや、新潮社のブンガク、お笑いもブンガクのうちだとすれば、は、あげてこの新書シリーズにある。
やらせでもいいから、悪口でもいいから福田和也が四半期まえぐらいに出したやつにamazonでだれか最初のコメントかいてやっちゃあくれねえか。新潮の編集者には義侠心というものがないのか。

波連載の「歴史の極意・小説の奥義」も新書になるらしい。
波の連載は一応目を通していたが、いったいどこが「極意」であり「奥義」であるか、何月号の何ページ何行目のここ、と、誰か指さしで教えてくれないか。
特に小説の奥義について。


かくして東洋経済はオンラインでかまし、新潮は新書で書き飛ばす。

加速度は新潮に軍配、というのがおれの裁定。
この後、五木、中沢、再び福田和也、あたりで、どうかパドックは。今月号の広告のラインナップもなかなか雄渾だが。
どうせ奈落に沈むならはやいほうがいい。