消防訓練でたたき起こされたので、書く。
先週から少しやわらいだが、またぶり返しそうな気配だ。
今年つくづく思い知ったこと。
一定以上の暑さが続くと、体より、おつむにくる。
のうみそが、枝葉末節をシャットアウトする。
幹だけ知覚するのは、気が散らなくてかえっていいじゃないか、というと、全然そんなことはない。
脈絡のないイメージのかたまりが勝手に浮かんでくるのと遊ぶことこそが、おいらの、わくわく、なので、これがないと、毎日が単なるサバイバルの様相を呈する。
要は、バカなことすら考えられなくなる。
お迎えがくるまでひまつぶし。
で、ひまつぶし、とは、即ち、バカなことと遊ぶことなり。
だから、既に始まっていて、さらに、これから広がる時間の流れは、わくわくどきどきだ。
そのために、いままでは、静かな時空間さえあればいい、と思っていたが、ひとつ、適正な気温、という条件も要る、ということに、気が付いた。
条件は、少なければ少ないほどいいのだが、今般、
◆静かで持続する時空間
という従来心がけていた環境に加え、
◆適正な温度
を、新たに加えることとした。
静かな時空間。は、けたたましい「ヒト」を排除することで、ほぼ維持できる。
適正な温度は、気温は「心掛け」ても、なかなか当方の思惑どおりにはいかないので、「籠城」で周辺の温度を調節するということですね。
「静謐の気」のあるヒトとのみ接し、極力余計な外出を避ける。
おれにとって必須の栄養素である「バカなこと」は、暑い間はビタミン同様外部から摂取する、テレビでおばか映画を見るなどして。
これぞ、啓発舎の生きる途、なり。
特に、いまの季節、ね。
で、これから外出。