◆銀行来た。帰った。
名刺はラインの「長」の肩書き。対外的ではなさそうだ。
しかも、話は、なんだか、「やぶさかでない」みたいなニュアンス。
面食らう、というか、拍子抜けというか。
前向きだったから言うわけではないが、シャープな兄ちゃんだった。
最近、銀行と話をするときは、単刀直入が全然痛痒、じゃない、通用しないので、きちんと前ふりをして下ごしらえして噛んで含めてやらないといけないので、まだるっこしいことこの上ない、というセッションが続いた。面と向かっても、電話でも。
今日は、わかる奴だったので、地肩のある奴だったので、話が早かった。
で、その旨言うと、実は、と。
部下の外回りでも、話が通る奴とそうでない奴がいて、通じる奴は半分より少ない、と。
融資の身体検査をまともにできる奴はさらに絞られる、と。
そうだろうなあ。
で、当初の用件があっさりすんだので、雑談。
2004年入行だ、と。就職氷河期。
ババばかり引いて、いいことが全然なかった世代、なんだそうな。
本題は、ここから。
さすがに、忙しい課長さん相手に、わしの若い自分は、とおっぱじめるわかにはいかない。
モノローグであります。
世界史の視点で、この国がピークだったのは、1980年代の後半から90年代のはじめだ、というのは異論がないだろう。
今後おそらく、あんな時代は再現しないだろう、ということも、
あくまで富の絶対量でなく、相対比較で。
おれなんかも、80ねんだい の末ごろは、はちゃめちゃやってました。
国自体がはめをはずしていた。
最近思うのは。
いま、国をあげて格差ブームだが、当時は、いまより格差というか、階層というか階級、とまでいうのは語弊があるか、が、あったような気がする。
銭金が基本なのはもちろんだが、それ以外に。
出自はあまり関係ない。
学校、仕事がだいじ。
企業は社員の生活をほぼ一生面倒みるスタンスで抱え込んでいたから、「社会」と「会社」のあいだに明確な垣根があって、「会社」に属する奴はその中だけで人生を全うすることが可能だった。
忘れもしないのは、女と仲良くしているいるのが上の連中の知るところとなって、「街の女の子と」つきあうのはいかがか、と意見されたことがあった。
女とよろしくやるのがダメと言っているのではない、内部で調達したらどうかね、という意味です。身元がしっかりしてるでしょ、ということ。
こんなの、今だったら、でるとこでたら、上司あぶないですよ、クビが。
中間層の没落、というがいちばん大きいのは、かつて、その中間層にはささやかな資産と、成育歴にもとづく一定の教養、という言葉はいささか強いが、通じる言葉、みたいなものがありました。
いま、見事にそれは破壊された。
ここで突然話は飛ぶ。
おれが東急本店で感じる気配は、実はそれなんですよ。
80年代後半のバブル前期、バブルの頂点は有象無象がお下品にやっていましたがその兆しの時期は、そうでもなかった、あの時期の自由が丘のひなびた感じとか、霞町あたりの、おフランス料理やが出したあたり、の空気。
それが、かすかに残る、あえかな気配として。
比較のために、たとえば、えーと、銀座シックスとかを引っ張り出そうか。
ここには、箱、はある。寄せ集めたブランドは、ある。
唯一ないのは、ヒト、であります。
銭だけではない、一定の環境で生育した、ひととおりの文化、のようなものが自分の中を通りすぎた、階層に属することがにじみ出る気配のようなもの、これは一定数の同種の個体が集まらないと、絶対に醸し出されない、その気配が、全くない。
外来種のせいにしたがるが、問題は在来種。
もうダメですね。
全然悲観していない。
自分の裡にそれがあればいいのです。銘々が。
ということを、このくそ暑いなか、突然、ひらめいたので、ひさしぶりに思考が一気に「面」的展開をしたので、書いた。
この話も、ふくらませようと思えばもっと膨らむ。
ホイチョイとかがバブルを懐かしむが、まるでチープだ、
その前段階、兆しの時期の、まだ世の中が落ち着いていた頃、自然にヒトが集まっていた空気。室内楽の催しに集まったヒトのそれぞれ、とか。
自分のために書いた。
今日来たにいちゃんに告ぐ。
これから、ケチビシ、と心の中で言うのは、「当分の間」やめにするよ。