啓発舎

マジすか? マジすよ

剽窃をめぐり新潮社と講談社がやりあっている。
講談社のコメントが、なにやらただならないものだったので、類似箇所の原典にあたってみた。おれもヒマだ。
◆類似は明らかだ。
◆事実のみでなく、匂いとかの描写、主観的な表現までひっぱているのは、引用の限界を超えるように思う。
◆小説全体の価値に影響を及ぼすものではない。
という印象。


講談社は、雑誌発表後、改めて参考文献を巻末に列挙して、再掲載した。
そのうえで、コメントを発表、そこで、新潮社が「単に参考文献として記載して解決する問題ではない」と言ったことについて、激しく噛みついている。
ここにおれはひっかかった。


新潮が言ってるのは、該当部分を書き直して、剽窃された側に詫びをいれる、というようなおとしどころか、と拝察する、新潮社が「大人」であるとして。


ところが、講談社によると、著者の北条氏は「大きな衝撃と深い悲しみを覚え」、逆に新潮社の指摘により傷つけられた被害者になってしまったかのようだ。

で、お定まりの、文学作品としての価値は何ら損なわれない、と。
「ブンガク」が腐臭を放つ好個の事例だ。


ブンガクだから許されるとかいうことでは、この問題は全然ない。

単にパクったのが露呈したのだから、それなりのプロセスで解決する、というビジネスの領域です。
それに、感情のもつれが少しからむ、という世間でよくある話ではないか。


無断でパクっといて、抗議されると、とたんに傷ついたプリンセスに変身。

これをパッシヴアグレッシヴといい、およそヒトが示し得る最も邪悪な他社、じゃないか、他者への働きかけであります。

非常にしばしば、これは成功する。


ブンガク、と、被害者ヅラの強面が重なった、醜さの限界を追究する求道者のような行い。
その調子でとことん究めてくれ、と、講談社と北条なんとか氏にエールを送る。

セロニアス文句なくおもしろ。それも最近珍しい高純度の物件だ。
本件、続報するかもしれない。