啓発舎

マジすか? マジすよ

N響 パーヴォのバルトーク

N響第1866回 定期公演 Bプログラム
2017年9月27日(水)
サントリーホール
バルトーク/弦楽のためのディヴェルティメント
バルトーク/舞踊組曲
バルトーク/弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
NHK交響楽団


金払って文句言うのは気が向かない、誰だって、ので、簡潔に。
例によって、ビールビールでもある。


◆今回はコンサートではなく、スタジオ録音、だった。
 客席を埋めて音響をデッドししたかったのか。
弁当はでないのはおろか、金まで払わされるエキストラがあるものか。
後日ギャラを要求する会員がいれば、おれも尻馬に乗る。


◆今夜は、一言で言い尽くせる。
 湿った新聞紙。以上。
 雨漏りのする倉庫に積まれた古新聞ざっと3年分、しかも産経、これより気が重くなる景色は想像できない。
◆にもかかわらず、というべきか、従って、というべきか、CDでたら、いままで同様これもレコ芸で特選、と今から予言する。
この場合は、順接が適切だ、N響ヤルヴィは無条件でほめそやすよいしょジャーナリズムに栄光あれ。


少しは、なかみ、いきますか。


◆おれの弦チェレへの思い入れはこの際おくとして、これほどはずまないバルトークがありうるか。

◆そりゃ、どうしてもライナーシカゴは、ものさしとして、ある。
 でも、それだけじゃない。
 ライブでは、小沢桐朋オケの記憶が鮮烈だ。
 小沢は、誰もが知るように、80年代の早い時期にガス欠になって出がらし状態で今日に至っているわけだが、最後の力をふりしぼって、というのは後付けの理屈だが、79年、だと思う、桐朋現役オケと郵貯でやった弦チェレは凄かった。
桐朋の学生オケの弦が、張り詰めた糸のようだった。


弦チェレは、博多ラーメン、と今、定義する。
はりはりの細打ち麺、ゆで時間は30秒が限度だ。


今夜は、バイト新入りのヤルヴィくんが、カップめんなみに茹でてしまった。
3分茹でた細麺を、あんた食えますか。

こぎれいに取り繕うことに終始して、自発性、躍動感が失われている。


実は、こないだのグレートの執拗にアクセントをつけて弾かせるギミックをテレビでみたもんだから、今夜はましてやバルトーク、ぎしぎしやらせるんだろうな、と思って覚悟していた、この曲の場合、ある意味、期待していた、ともいえる、のだが、ディヴェルティメントの冒頭から、あれ元気ないな、という意外感に当惑し、それが最後まで続いたのだった。
要すれば退屈した。
弦、特に1stVnセクションの元気のなさは際立っていた。

この曲こそ、音色、うるおいを犠牲にしてかますパーヴォの「音楽性」を存分に発揮できる場ではなかったか。

弦チェレ終楽章コンバスの「のびきったそば」感。この楽章こそ、コンバス魂が炸裂する、見得を切りまくれる場ではなかったか。


N響でたまにある指揮者をばかにしたサラリーマン根性むき出しの演奏、とも違うと思う、パーヴォは首席、二流と見下す相手ではないはずだから。

録音するってんで小骨を抜いて台無しにされたさんまを食わされた、ということか。

さんまは目黒に限る。