啓発舎

マジすか? マジすよ

茂木健一郎氏のBLOGOS投稿

啓蒙主義の時代は、終わったような気がしている。その理由は、二つあるのかな、と思う。一つは、グローバル化のもたらした反動のようなもので、要するに、普遍的な価値に対する、反発のような動きが目立つようになった。

国家が主権(sovereignty)を持つというフィクションが、グローバル化の中で脅かされているがゆえの反動として、国家のエゴを追求することに対する恥じらいのない容赦なさが、どこでも起こっている。中国やロシアだけではない。

なぜ、このような時代が啓蒙主義と無関係かというと、かつてのイデオロギー対立のような上部構造がないからだ。もっと、むき出しの生命としての利己性が、大国を含めた国家のモティーフになっている。そのような時代に、人々は慣れ始めてしまった。

加えて、最近感じるのは、テクノノジー、特に、人工知能の発達である。人工知能が、ムーアの法則の波に乗って急速に賢くなったため、逆に、人間が賢くなるべきという淘汰圧が減少して、まあ、そこそこでいいか、という弛緩が生じているような気がする。

人工知能が象徴するのは、システムである。インターネットなどのインフラがしっかりしていれば、大国の大統領候補が少々問題発言連発の道化者でも、まあ、いいか、というような、そんな許容の精神が生まれているように感じる。

啓蒙主義の時代は、人間は変わり得る、という信仰のようなものがあったが、今の時代のエートスは、「人間なんてどうせ変わらない」ではないか。その代わりに、人工知能などのテクノロジーが変わる。人間は一皿のコロッケのような存在になっていくのだろうか。


この人、当方の区分ではトンデモ界の住人であった。郵便ポストも電信柱も、みんな脳味噌のせい、というわかりやすい芸風だ。初期の養老氏にちょっと似ている。
で、平和にスルーしていた、テレビでたまにお見掛けすると、それなりに笑えるので、別にどうでもいいや、と思っていた。

この投稿は、しかし、括目だぞ。
当方の問題意識とがっぷり四つだ。


全部賛成。
ちょっと触発されたので当方のくすぶっているところを表白してみたい。
前段と後段ではちょっと違うことを言っていて、前半は、世界中、みもふたもない利益のうばいあいになってるね、という現状認識。爆買共和国の世界観が世界中を石鹸、じゃないよ、席捲している。

後半。AIは進化、人間なんてどうせかわらない、というニヒリズム


既成事実を作っておいてから速射砲のようにまくしたてる、という教科書どおりの展開は、たとえば今現在南シナ海で進行している。
こっちは、いくらなんでも、という揺り戻しが、おこってくるような気がしている。
甘いか。
これは、それこそ世界中でみんなが思っていること。



後半が眼目。

人間なんて、かわらない。
わしも内乱記読んでそう思った。

ただ、一皿のコロッケになるかどうか。


そこじゃ。
そこを、五感の感受性、と繰り返し言っておる。
これからも。


人間は、それのみじゃ。