啓発舎

マジすか? マジすよ

日本はこれからどこへ行くのか内田樹氏は、このところ、先鋭化するのはいいが、やや空回り感があり、どうしたのかな、と思っていたが、きのうの投稿は秀逸だった。

内容は、いつものとおり、風呂敷を広げて収拾のつかなくなったあたりで、「とっちらかった話をまとめよう」と、まとめるどころか、新たなボールを蹴り込む、という、にぎやかなものだが、なんとなくいらだっている、その原因を探る、というプロセスから浮かび上がる、もどかしい、みたいな気分が、共感できる。

グローバリズム、経済優先、というあたり。
以下引用

速度という点ではグローバル資本主義での経済活動が圧倒的である。今、株の取引は人間ではなくアルゴリズムが行っている。1000分の一秒単位での株の売り買いはもう人間の身体ではそこで何が行われているかを想像的にも追体験することができない。成功した投資家や起業家の中は個人資産が天文学的数字に達している者がいるが、その金額は生身の人間の生理的欲求を満たすレベルをはるかに超える。日替わりで自家用ジェット機を乗り換えても、分刻みで上から下まで服を着替えても、毎食を三つ星シェフたちに作らせても、身体はそれを「愉しい」とはもう感じられない。けれども、彼らは「もう限度を超えて儲け過ぎたから、この辺で手じまいにして、貧者にトリクルダウンしよう」と思ったりはしない。限度というのは、身体にしかない。そして、グローバル資本主義のトッププレイヤーたちはもう身体を持っていない。

こうして経済活動は限度なく加速化してきた。そしていま人々はそれに疲れ始めてきた。しつこいようだが、ことの良し悪しを言っているのではない。疲れたのに良いも悪いもない。そして、「ちょっと足を止めて、一息つかせて欲しい」という気分が全世界的に蔓延してきた。

一息つかせてほしいという気分が全世界的に蔓延してきたか、どうかは議論のわかれるところだ。
たとえば、中国はどうか。カジノ資本主義への参戦意欲満々とはいえないか、国単位でくくるのはおおざっぱではあるが。

全世界はしらないが、この国では、一部でそういう気分が醸成されていることは間違いない。
とりあえず内田氏と当方。


経済中心で世界をまわすと、人間がひからびるよ、というようなことを言いたいのであれば共感できる。


ローカルに、ローカルに、日々やっていく、ということです。

後半、メディアの劣化、特に新聞の没落に矛先がうつるが、これは今更だ。
いま、まともな言論は、外国メディアからしかはいらない。

外国メディアから情報をいれ、日常はローカルに過ごす。