啓発舎

マジすか? マジすよ

◆国会前で「日本死ね」集会。
 これは、あり、だと思う。
「私だ」「僕だ」のプラカードはヴィジュアルとしてもマル。
 自分で考える練習だ。
 世の中なんかおかしい、というのは大事だ。
 なんでも人のせい、というのをいっぺんやってみて、いくらなんでも、というところから、世の中と自分と照らし合わせることをはじめるのでよい。
 地上波階層から離陸だ。
◆内乱記 カエサル 岩波の新訳。
 これはルポルタージュか。ブンガクであるのかないのか。
 なんてことはどうでもいい。
 面白いなあ。
 塩野さんは、「軽蔑」がテーマ、みたいなことを言っているらしいが、おれはそう思わない。
 立場上、ポンペイウスにせこい奴の役回りを与えるのは当然であるが、戦いの記述には、本気で、しかもかなり切迫した臨場感がある。薄氷をわたっている。
 ガリア戦記は、時に、相手に対するほとんど情愛といってよい、暖かいまなざしがあるから、それとの対比で軽蔑という語がでてくるのかもしれないが、今回の相手はガリアの蛮族ではないですから、百戦錬磨、海千山千、老獪、権謀、という、要は、自分と同じ食えないおやじを相手にしているわけです。自分とどつきあっているようなもんだ。
大きな衝突が何回かあるが、相手の腹を読みながら、部下を叱咤激励して、とくに今回は、自分の正当性をやたら連呼するのだね、ガリア戦記の終始一貫する客観性が、今回は、ない、突然一人称になったりする。
 これは、せろにあすモンクなくブンガクだ。
 思いついた。いまのこの国でブンガクといいはる奴とかそいつの書く減らず口が全然ダメとか嘆くには及ばない。こうして自分のブンガクを拾っていけばよい。